「愛」が湧くマシンはデザインから生まれる
以前、トヨタの豊田章男社長がこんなことを言っていた。
「数ある工業製品の中でも、“愛”がつくのがクルマなんです」
確かに、愛馬や愛犬と同じように、クルマのことを「愛車」と呼ぶ。だがクルマのように「愛」をつけて呼ぶ機械は、そんなに多くない。冷蔵庫や電子レンジを「愛庫」「愛レンジ」などと呼ぶ人はいないだろう。それだけクルマは、人が感情移入する存在なのだ。
だからこそ、クルマの見た目は重要だ。単に合理的なだけの造形では「愛車」と呼ばれる存在にはならない。感情に訴えかけるプロポーションや所有欲を満たす高級感、風景と調和する美しさなど多様な要素が求められる。そんな複雑なデザインを、実用性や安全性、走行性能、燃費のための空力性能といった数多くの制約のもとで実現しなくてはならない。途方もない難題だ。
そんな難しい課題をできるだけ高レベルでクリアすべく、デザイナーたちは膨大なスケッチを描き、クレイモデルを作ってはミリ単位で磨き上げながら、具体的な造形に落とし込んでいく。そうして作られるクルマは、まるでF1マシンのようなノーズを持つエンツォ・フェラーリから、ルールの限界ギリギリまで室内空間を広げた軽トールワゴンまで、振り幅が広い。それがクルマのデザインの面白さだと思う。
スケッチにはデザイナーの美意識が現れる
中でも僕が好きなのは、デザイナーがアイデアを形にしていくときのスケッチだ。鉛筆でささっと描いたようなラフスケッチから、さまざまな文房具を駆使してリアルに描くマーカーレンダリングまで、クルマのデザインの過程ではたくさんのスケッチが描かれる。アイデアやイメージを伝える手段だから、そこに正解はない。だからこそ、デザイナーの個性や美意識、こだわりが存分に現れる。
例えば、独アウディで活躍したカーデザイナーの和田智氏は、墨汁やインクを使って水墨画のようなスケッチを描いて同僚たちに驚かれた。ドイツ車のデザインに日本の美意識を持ち込んだわけだが、スケッチを見るとその陰影の表現がアウディの端正なたたずまいと見事に調和しているから不思議だ。この力強いスケッチを武器に、和田氏はアウディの象徴シングルフレームグリルを初めて採用したAudi A6、ドイツデザインの最高栄誉であるドイツ連邦デザイン賞を受賞したAudi A5など、数々の名車を手がけていく。
本人の直筆サイン入りポストカードは筆者の宝物
さて、通常デザイナーのコンセプトスケッチに描かれるクルマは、高さはひたすら低く幅広で、巨大なタイヤを履き、安全性能や居住性など完全無視。ひたすらカッコいい形を追求する。まるで「ぼくがかんがえるさいきょうのくるま」だ。
それが、段階を経るごとに現実的な形へと落とし込まれていく。その過程で何をあきらめ、何を残たのか、見比べるのもまた楽しい。「当初のコンセプトをよくぞここまで残した」というケースもあれば、「まあ、そうなっちゃうよね」という残念な例もあるのだが……。
いずれにしろ、スケッチを眺めることでデザイナーが目指した「かっこよさ」や実現したかったコンセプトを知ると、実際に販売されたクルマのデザインも、より深く興味深く見られるものだ。
前置きが長くなったが、そんなクルマのデザイン過程を膨大なビジュアルで楽める雑誌がイタリアの老舗カーデザイン誌『Auto & Design』だ。1979年の創刊以来、自動車会社やデザインスタジオはもちろん、部品メーカー、素材メーカー、大学など自動車業界向けに、自動車デザインの最新情報やトレンドを発信してきた。文章は英語とイタリア語の併記だが、大量の絵や写真だけでも十分見応えがある。
毎号豊富なビジュアルでカーデザインの裏側を見せてくれる
2カ月に1回の隔月刊で、2021年7-8月号ではジャガー、9-10月号ではボルボの電動化、11-12月号ではヒョンデ/ジェネシス初のEV「GV60」が特集されている。欧州の雑誌だがアメリカや日本、韓国など世界各国のカーメーカーが取り上げられており、内容もスポーツカーの空力からミニバンの積載性の話までさまざまだ。
カッコいいクルマを眺めると、熱い気持ちを思い出す
自動運転の時代になると、もう誰もクルマなんて買わず、箱みたいな無機質な乗りものが街を行き来するようになる——。最近はそんな話を聞き過ぎたせいか、「もうクルマなんて、好きなときに好きな場所に連れて行ってくれれば十分」なんて気になってしまうこともある。
だけど、この雑誌を眺めていると、心の底から熱い気持ちがよみがえってくる。やっぱり、カッコいいものはカッコいい! エレベーターみたいなクルマで淡々と移動するんじゃなくて、愛車を運転して自由自在に駆け回りたい! たまたま見つけた美しい景色の中に愛車を止めて、ニヤニヤしながら眺めたい!
こんな気持ちはたぶん合理的じゃないけど、すごく人間的なんじゃないだろうか。効率重視の世の中でつい忘れがちな、大事なことを思い出させてくれる気がするのだ。
電気自動車の時代でも、まだまだカッコいいデザインが登場しそうだ
(2021年9-10月号)
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