開学10周年、秋田公立美術大学の現在 vol.3美大生が農家を目指したわけ

Jun 30,2023interview

#AKIBI

Jun30,2023

interview

開学10周年、秋田公立美術大学の現在 vol.3 美大生が農家を目指したわけ

文:
TD編集部 藤生 新

2023年4月で開学10周年を迎えた秋田公立美術大学。「日本一新しい美術大学」ではいま何が起きているのだろう? 編集部の藤生が現地を訪れ「ものづくりデザイン」「粘菌研究クラブ」「農業と美術」の3つの観点からその現在地を紹介する。

TOP写真提供:瀧谷夏実氏

前回までの記事:
vol.1 「ものづくり」の社会的役割
vol.2 美大で粘菌を研究するわけ

秋田公立美術大学(以下、秋美)を2023年に卒業した瀧谷夏実さんは、現在は秋田県立大学で実験圃場のスタッフとして働きながら、「農家」としての独立を目指して活動している。しかし、瀧谷さんが美大を出て農家を目指すようになった背景には何があったのだろうか? そこには、秋美が10年間にわたり進めてきた、独自の教育体制があった。

「秋田公立美術大学の現在」シリーズの第3回、最終回として、瀧谷さんと担当教員の岩井成昭教授(複合芸術研究科教授・副学長)のインタビューをお届けする。

なぜ、美大で農家を目指すことに?

まずは瀧谷さんの略歴を教えてください。

瀧谷夏実氏(以下、敬称略):出身は神奈川県で、秋田に来たのは大学進学のためです。高校3年間はカナダに留学していて、当時興味があったのはグラフィティとコンテンポラリーアート。帰国後に美大を志し、1年間の受験期間を経て秋美に進学しました。

瀧谷夏実氏(筆者撮影)

瀧谷:でも、入学当初は何をしたらいいかがわからなくて。岩井先生が統括されているプロジェクト「旅する地域考」や、岸健太先生がインドネシアのスラバヤ市で実施されているワークショップへの参加など、1年次はフィールドワークを中心に動いていました。

2年生になると課題が多くなって、テーマに沿って淡々と作るような期間に。そんな中、2年生の冬に「農家になりたい」と思い立って、後半の2年間は農業が制作の中心になりました。

なぜ、農家に憧れるようになったのですか?

瀧谷:最初のきっかけは『ビッグ・リトル・ファーム』(2018年)というドキュメンタリー映画を見たことです。ある夫婦がロサンゼルスの荒廃した農地を8年間かけて再生させる話なんですが、環境問題を筆頭に、私たち人間が「取り組まなきゃいけない」とされる問題ってたくさんありますよね。でも人間が右往左往しなくても、最終的には自然に任せればなんとかなるよ──という希望に満ち溢れた映画でした。

その映画を見たあとは、電車に乗ってもみんなに握手して回りたいくらいワクワクしてしまって(笑)。自分でもそんな実践をしてみたいという感情が爆発したんです。

その時点では農業は未経験だったと思いますが、まず何から始めたのでしょうか?

瀧谷:会う人会う人に片っ端から「私、農家になりたいです」と言って回りました。そしたら「こんな面白い人がいるよ」「あの人に会ってごらん」という情報が集まってきて、教えてもらった人にはほぼ全員会って回ったんです。

農作業をする瀧谷氏(提供:瀧谷夏実氏)
具体的にはどんな人と会いましたか?

瀧谷:今でも一番お世話になっているのは、秋田市・河辺式田(かわべしきだ)にいる遠山桂太郎さんです。遠山さんは元々東京でカメラマンをしていて、数年前に家族で河辺式田に移住して、野菜、お米、ライ麦、(秋田の伝統野菜の)沼山大根などを作りながら、ほぼ自給自足で生活されています。

ほかにも、青森で「岩木山麓しらとり農場」を営まれている白取克之さんは、4ヘクタールくらいの土地で有機栽培をしている農家さん。安心・安全へのこだわりはもちろん、それ以上にご自身が楽しくなることを大事にしている方です。

常に4人くらいのお手伝いさんが来ていますが、お給料をもらって働いているわけではなく、有機農法を学びたいという希望者が全国から集まってきて、お手伝いする代わりに食事と寝床を提供するという方法で十何年も続けられています。

流通も独特で、ほとんど自分で配達から販売まで行っている。畑も森から開墾して、家も自分で作って、トイレはバイオトイレと、あくまで自分の手が届く範囲内で動いているんですね。でも「楽しいからやっているんだよね」みたいな気軽さがあり、「こんな面白い大人がいるんだ!」という衝撃を受けました。

仕事とライフスタイルが密接に繋がっている感じがします。

瀧谷:よく「コミュニティを再建しよう」みたいなアートプロジェクトってありますが、それにもまして、コミュニティの再建をライフワークにしている人が各地にいる。そうした人々の存在を在学中に知り「おとぎ話の国から来た人たちみたいだ」「なんてクリエイティブなんだ」と感動しました。

彼らの写真を撮ろうとか、暮らしている様子を絵にしようとか、感動を表現する方法はさまざまだと思うんですが、私の場合は「こんな人たちみたいになりたい」と思い、あとはもう突き進むしかないなと思いました。

工芸作物という解

実際に農業を始めたのは、3年生になってからですか?

瀧谷:農業というより、自分では「大きい家庭菜園」と呼んでいたんですけど(笑)。3年生の時に、友人づてに「自由に使っていいよ」という2反(750坪)の広さの畑を借りられることになり、手がかからないサツマイモから育て始めました。2年目になると、自分が食べるお米、トマト、ナス、ジャガイモ、それから「工芸作物」を作るためのホウキモロコシと和綿(わめん)を育てるようになりました。

瀧谷氏の畑の様子(提供:秋田公立美術大学)
工芸作物とは何でしょうか?

瀧谷:畳を作るためのイグサや箒を作るためのホウキモロコシみたいに、工芸品の材料になる作物のことです。「農業は天候にも左右されるし大変だよ」といろんな人から言われますが、工芸作物なら保存ができる上に、前年が豊作なら翌年に持ち越せます。加工することで付加価値がつきますが、意外にも育てるのは簡単。ホウキモロコシって害虫に強くて、病気にも罹りにくいので、食用の作物と比べて、かける労力が少ない気がします。

食用野菜の場合、たとえば有機栽培などで付加価値がつくことはありますが、JA(農業協同組合)のように大きなところに卸さず、自分で販路開拓して付加価値をつくることはめちゃくちゃ大変です。だから食用野菜とは別に収入源を確保できれば、楽しく好きなように野菜を育てられるだろうなとも思いました。

そうしたスタイルで活動されている方はほかにもいるのでしょうか?

瀧谷:実はたくさんいます。冬の期間に1ヶ月ほど、岩手にある高倉工芸さんで教えてもらったことがありました。高倉工芸さんは有限会社ですが、代々続いている農家さんで、従来の農家では農閑期の副収入だった箒作りをメインに生産されています。高倉工芸さんのすごいところは、ホウキモロコシの種まきから箒の制作に至るまで、全てを自社で一貫しているところ。糸にしても、わざわざ自然の染料を使って染めているんです。

ほかにも、兵庫にはコリヤナギという工芸作物を使った豊岡杞柳細工(とよおかきりゅうざいく)があったりと、日本各地にこうした取り組みがあります。

こちらは瀧谷さんが作ったものですか?

瀧谷:はい、これは3年生の時に編んだ麦わら帽子です。お手伝いに行った農家さんと麦を刈っていて、それが綺麗だったので少しだけ分けてもらって編みました。

瀧谷氏が制作した品々(筆者撮影)

瀧谷:自分で育てたホウキモロコシで編んでみた箒もあります。色が違いますが、柄の部分も含めて全部ホウキモロコシです。

ススキで編んだ箒はこちらです。ススキのモサモサしている部分が箒になるんじゃないかなと思って作ってみたら、茎の色も綺麗なことに気が付きました。

ほんとだ、ススキってこんな色になるんですね。
瀧谷氏の制作した「ぬかきび箒」(筆者撮影)

瀧谷:そうなんです。麦わら帽子も最初は色が綺麗だったんですが、時間が経つと全体がキャラメル色になっちゃいました。
それと、田んぼや畑によく生えている雑草(ヌカキビ)で作った箒もあります。農作業中に見かけて、箒にしたら良いんじゃないかなと思って作ってみたものです。最初はみんな「何してるの?」という感じだったんですが、こうやって出来たものを並べると「これがいいね」と言いながら雑草箒も手に取ってくれます。

本当に、ひとつひとつ手に取りたくなります。この箒は先端がいい具合に縮れていますね。
瀧谷氏の制作した箒(筆者撮影)

瀧谷:高倉工芸で「この縮れがいいんだよ」と教わったんです。この前テレビを見ていたら、お寺の人が手に持っている箒の先端がピシッと切り揃えてあったんですよ。どうも関東はそうみたいで、切り揃えると張りがよくなって、畳掃きに向いているみたいです。それに対して先端が縮れていると、絨毯みたいにゴワゴワした場所を掃きやすくなりますね。

ストーリーから生まれる形

改めてお聞きしますが、瀧谷さんの活動は「農業」なのか「美術」なのか、何なのでしょうか?

瀧谷:大学の卒業研究では、工芸作物を育てて箒などを作りましたが、自分の中では美術でも農業でもなく、「研究」だと思っていました。じゃあ何の研究なんだ?と言われれば、自己研究……になるのかな?
美大の制作でありがちなこととして、作品を制作して講評されたら、あとは解体してゴミ置き場に持っていくみたいなサイクルがあるんですが、それに疑問を抱いていて。抜け出す方法はないかなと模索した結果、辿り着いたやり方でもありました。

なので「これはアートだね」と言ってくれる人がいれば否定するつもりはありませんが、その一方で「アーティストです」と名乗っていなくてもクリエイティブに生きている人は世の中にたくさんいる。だから私もそういう人を目指して、農業に従事する者としてクリエイティブに頑張っていきたいなと。

農作業の様子(提供:秋田公立美術大学)
岩井先生は瀧谷さんの担当教員でしたが、在学中の活動をどのように見られていましたか?

岩井成昭氏(以下、敬称略):基本的に、学生には自分が徹底的にやりたいことを見つけてほしいなと思っています。その活動の意義がどのようなものであるかは、周りが意味付けしてあげればいいところもある。そういうゆるさが美大で制作できるメリットでもあるので。

岩井成昭氏(筆者撮影)

岩井:「もっとアートっぽくしなきゃ」「美術の枠組みで考えなきゃ」みたいに考える必要はないと思っています。だから、瀧谷さんみたいに何かに没頭している学生がいたことは、教員としては幸せだなと思って見ていました。

瀧谷:最初の1年間は畑作業をしているだけだったので、制作の進捗報告でも「今週は種蒔きをしました」「最近はネズミが出て困っています」みたいなことしか言えなくて(笑)。形になったのは本当にあとになってからのことでした。

ずっとあとになって形が追い付いてきた感じですね。

瀧谷:それまで「瀧谷は何をしているんだ」とみんな思っていたはずですけど、それでも優しく見守っていただいていたなと。

岩井:突然工芸品として形になって出てきて、しかもその形が格好よかったので、最初は腰が抜けるくらいびっくりしました。瀧谷さんが何年も続けてきた活動が形に凝縮されたようで、本当に素晴らしいなと思います。

「こういう形のものを作りたい」という思考からはたどり着けない形ですよね。そうすると「それっぽい形」になってしまうというか。

岩井:そう思います。自分でプロットを組み立てて実行するんじゃなくて、現実に歩きながら柔らかい頭でストーリーを描いていった感じですよね。

箒ひとつ取っても背景に物語があります。

岩井:瀧谷さんの中に物語があるし、使う人の中にも物語が生まれるだろうから。ぼくはこの箒が作物として畑に生えている状態から知っていたので、箒になった状態で見るとなお感慨深かったです。

農作業の様子(提供:秋田公立美術大学)

瀧谷:昨夏、秋田ではバケツをひっくり返したみたいな大雨が降って、畑の地力もなかったからか、通常なら2メートル超くらいになるホウキモロコシが160センチくらいにしかならなかったんです。高倉工芸の人に連絡したら「うちのホウキモロコシはもう2メートルを越えました」と言われて、「うちの子はまだ1メートルにもなってない」と思いながら、畑をぼうぜんと眺めてしまって……。

でも1メートル級の子からも、これくらい小さい箒ならちゃんと作れたんです。大きな箒は長いホウキモロコシからしか作れないんですけど、これくらい小さくても「ちゃんと育っていてえらいね」と言いながら育てて。

岩井:出来の悪い子ほどかわいいというやつだね(笑)。

瀧谷:「すごい」「えらい」と言いながら育てました(笑)。でも、喉元過ぎれば熱さ忘れるというか、今は楽しかったなと振り返っていて、また次の夏が来るのが楽しみなんです。

美大の使命は、価値ある勘違いを探し当てること

これまで「ものづくりデザイン専攻」や「粘菌研究クラブ」の取材を通じて、秋美にはクオリティの高低には還元できない、「ピラミッドの外側」的なものづくりの可能性が広がっているなと感じました(参照:「秋田公立美術大学の現在 vol.1」「秋田公立美術大学の現在 vol.2」)。先ほども岩井先生から「美術の枠組みで考える必要はない」というお話がありましたが、そんな環境で学生時代を過ごしたことで、瀧谷さんが受け取った影響はありますか?
講評会の様子(提供:秋田公立美術大学)

瀧谷:秋美の特徴は、なんといっても人と人の距離感の近さだと思います。「農家になりたい」と言ったら「じゃあ、この人を紹介してあげる」と次々繋がれたのもそうですし、「旅する地域考」などのプロジェクトでも、先生方との距離感が近くてなんでも相談ができた。それは秋美が比較的小規模な大学だからできたことなんじゃないかなと。

大学の外の「秋田」の地域性という点でいえば、秋田も東北もめちゃくちゃ面積が広いんですよ。秋田県内を車で端から端まで移動するだけでもかなり時間がかかる。空間的には広大だけど、そんな中にパワーが凝縮したような人たちが点々と住んでいる。それらを自分が渡り歩いて行って、線で繋いでいくみたいなことがやりやすいなと思いました。

広大な土地があるから、使われていない空間もあるし、農家を辞めていく高齢の方も多いので、「こんなことやりたいです」と言うと、何でもウェルカムみたいな空気感もある。だから、自分がやりたいイメージを形にするのに協力的な人、場所、環境が充実していたなと感じています。

従来の美大では、あまり良くない意味での「放任主義」が批判的に語られる場面も増えてきていると思います。「自由にやっていいよ」という教育方針が「何をしていいのかわからない」という学生を生んでいると指摘される一方で、秋美ではそれと逆のポジティブな状況が生まれているなと感じました。

岩井:たしかに美大のそうした状況があるなと思う一方で、それを少し離れて見つめ直すことによって、「そこから逸脱するぞ」とか「敢えて留まるぞ」といった判断ができると思うんです。

その意味でいえば、瀧谷さんは美術のセオリーからどんどん逸脱していくタイプの学生でした。そうだとはっきりわかった時点で、教員としてはそれを応援して、直観を信じて突き進んで欲しいと思いました。でもさらに言うと、それがアートを拡張させる原動力そのものですよね。読み替え次第ではそれまでの価値基準が転倒したり変換されたりもする。そのようなダイナミズムを経験できること、それが美大でものづくりができる面白さでもありますよね。

箒を手に取って眺める瀧谷氏と岩井氏(筆者撮影)
数十年後に時間差で「思えば、あれはアートだったね」と再解釈されることもありますよね。

岩井:それもあるし、近年は受け手側がより自由に判断できる基盤が出来上がりつつあるように思います。そういう状況自体が許容されているんです。

それでいうと瀧谷さんの活動は、それ自体が「アートの懐の深さ」を試しているところもあるなと思いました。

岩井:学生にはいつも言っているんですけど、場合によっては勘違いすることも大切だと思っているんです。一般的な認識とは全く異なることを信じている場合が人間にはあって、それは第三者から見ればクリエイティブだったり、大きなムーブメントに繫がることもあると思うんですよね。

たとえば、音楽家のジョン・ケージは日本の易や禅についてかなり特殊な解釈をしています。ある人はそれを勘違いだといった。しかし、そこから偉大な「チャンス・オペレーション」が生まれたとぼくは考えています。

一般的には不自由だとか、余剰的とか、効率が悪いと思われているようなものを俯瞰してみると、オルタナティヴな価値が見えてくることがあります。それを広大なフィールドから探し当てるのが美大の使命ではないかと思っているんです。

美大生活を追体験できる企画展

もうすぐ始まる開学10周年記念事業についても教えてください。

岩井:開学10周年記念事業全体は、式典や記念誌や企画展など、いくつかの部門に分かれています。ぼくが担当しているのは、2023年7月に始まる企画展で、予算的には記念事業のメイン企画です。

秋田公立美術大学 開学10周年記念展「美大10年」

開学10周年というと気負ってしまいそうだけど、ものすごく尖った展覧会を企画するようなことは我々の仕事ではないなと思っています。というのも、秋美は公立の美術大学で、設置者は秋田市、見守ってくださっているのは秋田の方々なんです。

だから、まずは秋田の人々により深く大学を理解してもらいたいことと、10年間の感謝を込めて、大学が成長した姿をできるだけ分かりやすくお伝えするのが企画展のコンセプト。なので、業界的には尖ったものに見えないかもしれませんが、地方の美大として地域に新しい視点を提供できると信じています。

ひとつ核になるストーリーとして、大学4年間で学生が過ごす時間を展覧会の中で追体験してもらいたいなと思っています。一般の人にとっては美術大学って謎じゃないですか。

確かに、外側から見ると「何やってるんだろう」と。

岩井:そう、「何やってるんだろう」「なんか変なことやってるよね」というイメージを持たれている人がすごく多いと思うんです。だから、美大では当たり前ですが、世間はよく知らないようなトピックも扱いたいと思っています。

秋田市文化創造館(「美大10年」展会場)外観(提供:秋田公立美術大学)

展覧会は6章構成で、第1章が入試に関する展示です。みなさんご存知の通り、美大には一般大とは異なる入試制度があって、中にはアカデミックな石膏像を試験として描かせる大学もあります。石膏デッサンの試験に対する批判も多いんですが、我々としては、このちょっと変わった制度自体を面白がりたいと思います。

あとは秋美の特徴として、どの専攻でも何らかのかたちでフィールドワークをしているんです。そこで「秋美型のフィールドワーク」が何なのかをテーマに、フィールドワークによって作られた作品やプロジェクトを紹介するコーナーも作りたいなと思っています。

加えて、ジェンダーの問題、アートセラピーにできること、生活と美術の関わり、産業に美術が貢献できることなど、さまざまなレベルでの社会的な問題に取り組んだ実践も紹介します。

岩井:そして最後に、これまでの10年間に在籍した学生が卒展で発表した、選りすぐりの作品を見せていきたいと思います。

以上の一連の流れを通して、鑑賞者の方が、大学に入って、授業を受けて、プロジェクトに参加して、卒業していくみたいな流れを追体験できたらいいなと、そんな展覧会になる予定です。

とてもオープンな内容になりそうです。

岩井:学内で企業秘密的に見えづらい部分も、全部地域の方々に知っていただきたいなと思っています。それを踏まえて、地域の方から「美大はこうなってほしい」とか「こういう点はいかがなものか」とか、いろいろな意見を集約したいんです。

会期中にはイベントなども行われますか?

岩井:毎週末にイベントを開催する予定です。たとえば、卒業生に現在の活動を紹介してもらうイベントをすることで、卒業生たちのネットワークがさらに広がればいいなとも。加えて、週末には工芸品などのものづくりを続けている卒業生が作品を販売するマルシェも予定しています。

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美大の「成果」とは何か?

この10年間を振り返って、岩井先生の中で印象的だったこと、変化したことなどはありますか?

岩井:開学当初は、卒業生がアートシーンで活躍できるといいなと短絡的に考えていました。良い作家を輩出すれば大学としても知名度が上がるし、結果的に良い学生が集まるんじゃないかと。でも、段々とそういう表層的な問題では答えが出ない課題にも気付き始めました。
たとえば、全くアートやデザインとは異なる分野に進んだ卒業生でも、秋美で学んだことを真剣に活かしてくれている人が、10年も経つとしっかり見えてくるんですね。そのことをぼくらは教育の成果だと受け止めています。その内容を10年の節目にしっかり見極めたいなと。

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大学における成果という点では、就職率や就職先などの話題が出がちです。でも仰るように、美大には数値的に可視化されづらい成果があると思います。

岩井:実はそれが10周年記念展の課題でもあるんです。その「成果」の部分をどうやって受け止めるかを考えていたときに、イベントの着想を得ました。この節目を使って、外に出ていった学生たちの中にどんな風に秋美が残っていてどんな風に活かされているのか、情報を集めたいなと。

学内外の人にとって、改めて「秋美ってこんな大学だったんだ」と見える場になりそうですね。

岩井:美大教育という意味でいえば、卒業後いかにクリエイティブに生きているか。という点に尽きると思います。職業アーティストだけがクリエィティブに生きているのではない。至極当然のことですが、秋美の卒業後はさまざまな生き方をしていて、人生を楽しんでいるんだよということをうまく伝えられたら嬉しいですね。

美大が4年間で教えられることはとても少なくて、たとえば局所的に「ガラスのこの技術だけを教える」とフォーカスすれば時間が足りるかもしれませんが、岩井先生はもっと大きな視野で「教育」に向き合っていらっしゃるのを感じます。

岩井:それについて本学は最初から割り切っているところがあって、ほかの美大では1年生から学ぶ専門的な内容を、2年次後半以降で学ぶカリキュラムになっています。専門性を深めることを目的とするならば、そもそも到底時間が足りないのではないかと。

それであれば、複合芸術研究科がまさにそうですが、いろんな分野を知って、俯瞰した全体像の中で自分の立ち位置を見極めること、社会の中で自分はどこに立っているのかを知ることが、その後の人生にとって重要になります。

最後に、本学で学べる技術の中には「生きる技術」もあると思います。それは、異なる領域を横断しようとする時に必要な勇気と謙虚さ、そしてコミュニケーションを成就させるための対人体力ですね。

一連のインタビューを通して、どの学生さんも卒業して5年後、10年後にまた改めてお話を聞いてみたいなと思わせてくれる方々ばかりでした。

岩井:本当に、これからが楽しみです。

談笑する瀧谷氏と岩井氏(筆者撮影)

取材を終えて

日本一新しい美術大学、秋美の今を探るシリーズとして、3本のインタビュー記事をお届けした。
取材対象は多岐にわたったが、第1回の「質の高低に関係なく「こういうことなんだね」と受け止めるということ」(安藤郁子教授)、第2回の「ピラミッドの中より外の方が明らかに広大なので、外部に面白いものがたくさんあるのは当たり前」(唐澤太輔准教授)、そして第3回の岩井先生のお話など、しっかりと地に足をつけながら、肩肘張らない活動を続けた結果、誰も見たことがない「新しいもの」が生まれつつある現場を目撃したように感じられた。

秋美の開学10周年記念展は、いよいよ7月6日(木)からスタートする。
この機会にぜひその「いま」を見届け、これからの10年間をともに見据えてみてほしい。

開学10周年記念事業について

開学10周年を迎えた秋田公立美術大学は、社会における大学の役割をもう一度考えながら、これまでご支援をいただいた秋田の皆さまに感謝し、これからも「つくる」を通して、美しく豊かな秋田のまち・ひと・くらしを、皆さまとともに創りあげていきたいと考え、「つくるをともに創る」というコンセプトのもと、開学10周年記念事業を展開しています。

これまでに記念ロゴマークや記念ポスターを制作し、そのデザインを活用したワークショップを実施したほか、2023年7月7日に記念講演・記念式典、7月6日~8月7日までの会期で「美大(あきび)10年」記念展を開催します。このほか、記念誌の制作や10月には、「漫画家 山田はまち先生トークショウ&イラスト公募展講評会」を予定しています。

各種イベント詳細については、AUA Chronicleよりご覧ください。

 

瀧谷夏実(たきたに・なつみ)

百姓見習い。美術大学在学中に制作における消費活動のあり方や、パーマカルチャーに興味を持ち、自ら栽培、採取した材料を用いて生活用具を作る活動「土から編む」を始める。ローカルな手仕事の技を地域を巡りながら学び、手に入れた材料で何ができるか考えながら、現在も活動中。

岩井成昭(いわい・しげあき)

秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科教授・副学長。美術家。1990年代から多文化状況をテーマに、欧州、豪州、東南アジアにおける調査を進める。2010年からはプロジェクトベースの「イミグレーション・ミュージアム・東京」を主宰。その一方で拠点を秋田に置き、秋田公立美術大学大学院複合芸術研科の新設に参与したほか「創造的辺境」を標榜するなど様々な活動を並行して進めている。2013年より現職。

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