Vol.3
専門誌という枠を飛び越え、「デザイナー育成」の役割を担う。
自動車が「全く新しい乗り物」に
進化を遂げようとしている今だからこそ、カーデザインは面白い。
日本車のデザインが世界に認められるようになって、ようやく30年を経た。第1回トリノ・ピエモンテ・カーデザイン賞に3代目ホンダ・シビックが輝いたのは1984年だった。
以来、日本車はいくつものデザイン賞を獲得している。その陰に『CAR STYLING』の活躍があったと言っても過言ではない。
同誌は自動車メーカーが主催するデザイン・コンペティションのいくつかには審査員の一員として参加してきた。World Car of the Yearがカナダのトロントで制定されたときも設立メンバーの一員だった。CAR STYLING誌自体も「日本カーデザイン賞」を創設し、6年間続いた「国際カーデザイン・コンペティション」では多くの若者がプロのデザイナーとなる糸口を見出した。熱意のある読者に支えられれば、メディアは単なる情報誌の枠を超えて産業界に貢献することができるのだ。
21世紀の序奏を終えようとする今、自動車は全く新しい乗り物に進化しつつある。そんなの自動車とは認めないと喚いた老人もいるが、若者にとっては絶好のチャンス。今こそ自分たちが使いこなす「未来の乗り物」をデザインしていくことが求められている。
日本カーデザイン大賞の制定。
最初は「ワースト・カーデザイン」を選ぶという冗談企画から始まった
同誌はいつの間にか、単なる雑誌という役割を越え、国内のカーデザインの向上に貢献するようになりましたね。
藤本:そうですね。最も大きかった仕事は現在も続いている「日本カーデザイン大賞」の制定でしょうか。1984年、CAR STYLINGは日本車のカーデザインのさらなる向上を目指して、デザイナーの皆さんの目標となる「日本カーデザイン大賞」を制定しました。
最初は「ワースト・カーデザイン」を選ぼうという鈴木脩己社長提案の冗談っぽい企画でしたが(笑)、開発に携わる人たちのことを考えた結果、素直に優れたカーデザインを選びトロフィーを贈呈することになりました。現在、「C&Tミーティング」というカーデザイナーが集まる招待制イベントの中で贈呈式が行われています。
藤本:新人の登竜門としてコンペティションやコンテストは素晴らしい効果をもたらしています。CAR STYLINGでは、1991年から「国際カーデザイン・コンペティション」を開催し、最終審査を東京オートサロンで行い、作品を展示してきました。多い時は600点以上もの作品が世界から寄せられ、2000年を過ぎたあたりから中国やブラジル、東欧など途上国の学生作品も増えました。このコンペティションに応募したことでカーデザイナーを目指した人たちが世界のあちこちにいます。
残念ながら若者の車ばなれと呼応するかのように応募総数は減少し、2005年を最後に終了しましたが、再出発したCS誌でもいずれ若者たちの心を刺激するコンペを始めてほしいですね。