なぜ、京都芸術大学か?
作品ではなく、人を育てるということ。一連の取材から受け取った理念はそのようなものだった。
京都芸術大学は、京都府に拠点を置く私立の芸術大学。先日、学長インタビューを公開した東北芸術工科大学とは姉妹校にあたる。
TDでは、2020年に京都芸術大学が開催した学生選抜展「フィールドワーク展」(東京都美術館)もレポートしている。京都の美大が東京で展覧会を行なうだけでも異例だが、「五美大展」と同時期の開催だったこともあり、東京を中心とする日本の美大教育に対して、強いメッセージを発しているようだった。
本記事では、そんな京都芸術大学のキャンパスを訪問し、アート、デザイン、学内公募プログラムと、3本の軸から、それぞれの仕掛け人にインタビューを行なった。
椿昇氏による「改革」
日本を代表するアーティストであり、京都芸術大学の教授でもある椿昇(つばき・のぼる)氏。1989年にアメリカ全土を巡回した「アゲインスト・ネイチャー」展への参加や、2001年に横浜トリエンナーレで発表した全長50m超のバッタの作品(《インセクト・ワールド──飛蝗》)など、常に第一線で注目を集めてきた。
その一方、教育者としてのキャリアも長い。1978年から、24年間にわたり中学・高校で美術を教えてきたほか、インターメディウム研究所、帝塚山学院大学を経て、2005年から京都芸術大学で教鞭をとっている。
注目すべきは、その「改革」の数々だ。
2005年の着任以来、学科横断プログラム「マンデイプロジェクト」の始動(2007年)、ウルトラファクトリーの創設(2008年)、卒業制作展のアートフェア化(2012年)、アートライブラリー「アルトテック」の創設(2012年)、「ARTISTS’ FAIR KYOTO」の創立(2018年)など、学内外を横断して大胆な手腕を振るってきた。
なぜ、こうした取り組みが実現できたのだろうか?
椿氏は、そのポイントは「大学の若さ」にあると語る。
「京都芸術大学は、1991年にできた新しい大学。良い意味で常識や既得権益のない環境でした。ぼくがこの大学に来たのは、アーティスト仲間の宮島達男さんに誘われたから。面談に来てみると、創設者・徳山詳直のパワーとカリスマ性がすごくて、引き寄せられるように就任しました」(椿氏)
アートの基礎体力「マンデイプロジェクト」
2007年には、学科横断プログラムの「マンデイプロジェクト」を始めた。通常、日本の美大はメディアごとに専攻する学科・コースが分かれる縦割り構造になっている。椿氏はまずこの「常識」にメスを入れることから始めた。
「マンデイプロジェクトを立ち上げて、80本以上のワークショップを一人で考えました」
名物プログラムは、毎年9月に行われる「ねぶた」の制作だ。大きなねぶたをチームで作ることによって、集団制作・長期制作の体力が鍛えられる。
「RCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)やMIT(マサチューセッツ工科大学)など、さまざまな大学を見てきました。その中で参照したのは、イェール大学の寮制度。ひとつの部屋に、数学、ピアノ、デザイン、建築など、色んなコースの学生をわざと混合させることで、将来的にベンチャービジネスが立ち上がる可能性が期待されているんです」
マンデイプロジェクトは、1年生のためのカリキュラムだ。できるだけ早く「横のつながり」をつくることで、クリエイティブなチームが自然発生することがあるという。こうしたつながりは上級生になってからも持続し、学科を越えたクリエイティブを生み出す大学全体の風土にも結びついていく。
こうした風土が生んだチームのひとつが、2009年に設立されたタンサン株式会社だ。京都を拠点に、ボードゲームの企画・デザインなどに取り組んでいる。
「タンサンを立ち上げた朝戸一聖さんもそうだし、株式会社CHIMASKIを立ち上げた酒井洋輔さん(現・空間演出デザイン学科准教授)もそう。アート/デザインにかかわらず、スタートアップがどんどん出てくることによって、大学全体が活性化していく。学生たちがお互いの人的リソースを活かせるように、教員たちは率先して支援しています」
ウルトラファクトリー誕生秘話
「横のつながり」を支援する動きは、京都芸術大学の代名詞ともいえる工房「ウルトラファクトリー」を生み出すことにもなった。
ウルトラファクトリーは、「想像しうるものはすべて実現可能」と宣言する全学科共通の工房だ。学生であれば誰でも、金属加工、木材加工、樹脂加工、シルクスクリーン、デジタル造形などに取り組めるほか、テクニカルスタッフも常駐している。ディレクターを務めるのは、椿氏と同じく日本を代表するアーティストのヤノベケンジ氏だ。学生にとっては夢のような環境である。
実は、ウルトラファクトリーの考案も椿氏によるものだった。そのきっかけについて尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「あれは苦肉の策なんです。うちの大学の弱みは、すでに空間が埋まっていて、新しいファシリティをつくる余白がないこと。でも、各学科のアトリエを見るといくつも同じ機材があったので、それらをひとつにまとめたらスペースができるし、お互いの交流も活発になるのではと思いました。最大のポイントは、予算をすぐに陳腐化する機材で使い切らず、モノ、ヒト(技官)、コト(プロジェクト予算)に三分割したこと。これは同時に、建築と機材で予算を使い切る日本の仕組みへの挑戦でもありました」
弱みを強みに変換させるクリエイティブな発想だ。しかし、学科からの反発はなかったのだろうか?
「各学科の工房を没収するわけですから、もちろん反発はありました。でも『学生たちを狭いところに押し込めていたらかわいそうじゃないか』と言うとみなさん納得してくれて、結果的には教員も横でつながるようになり、学科間の連携も強化されました」
卒展をアートフェアにする
次に着手したのは、卒業制作展をアートフェアにすることだった。これも、日本の美大では前例のない取り組みである。
ところで、これらの大胆な取り組みの背景には、どのような問題意識があったのだろうか? 椿氏にその裏側を伺った。
椿昇氏(以下敬称略):2010年に美術工芸学科の学科長になったんですが、中学・高校から美術の授業が削減されるなか、このままじゃ「美術工芸」の領域自体がなくなってしまうぞという危機感がありました。実際に世界を(自身のアーティスト活動を通じて)この目で見ていたので、世界との圧倒的な差を詰めようと焦りました。
たとえば、卒展もそのひとつ。卒展はそれまで美術館で行なわれていて、もちろん売買はできないし、壁に釘も打てないし、17時には閉場していました。でも、それではビジネスパーソンは来られませんよね。それで周囲の反対を押し切って、会場を大学にして、レセプションにコレクターを招き、作品を販売できるようにしました。
椿:アーティストは基本的にスタートアップなんです。そして作家の作品を買うということは、スタートアップに対して投資をするということ。ただモノを買うんじゃなくて、この人に投資したいというマインドなんですね。まず、このマインドセットを共有する必要があると思いました。
椿:スタートアップとして作家を見ると、卒展は天国のような空間に見えます。そこら中に作家が立っていて、直接話すことでその人のコアに触れることができる。
ほとんど喋らない子が立ってモゴモゴ言っているだけでも、グッとくるものがあります。「沈黙」も立派なプレゼンテーションですから。
その人の中で積み上がったものからこぼれ落ちる言葉に触れて、心が動かない人はいないと思うんです。そうなって初めて「この人が作ったものなら買いたい」と思える。最終的には、そうやって人と人との信頼関係ができていくんです。
椿:学生同士でも、全部売れる学生と一点も売れない学生がはっきり分かれることがあって。そんなとき、売れなかった子には「どうして君の作品は売れなくて、別の人の作品は売れたのか考えてみて」と言っています。痛みを覚えながら考えることで、その人の成長につながると考えています。
「売ること」の教育的効果
椿:学生同士の効果もあるし、先輩後輩間の縦の効果もあります。先輩が成功すると、後輩はみんなその先輩を意識しますよね。そういう先輩はだいたい梱包もきっちりしていて、テープを剥がすところひとつ取っても、剥がしやすく持ち手をつくっている。購入者にお礼状は書くし、四季折々のご挨拶もする。先輩のそういうところを見て、後輩が学ぶという伝統が生まれつつあります。
椿:作品を買ってくれる人には経営者の方が多いんですが、そういう人は毎日社会でバトルしていますよね。日々、経営や社員を養うことに頭を悩ませながら、その傍らでアートを買っている。作家だけが自分中心でいて信頼されるわけがなく、まずはそういう社長と同じマインドをもって、スタートアップの後輩として一生懸命やりなさいと言っています。
椿:信頼関係が生まれると卒業後もフォローしてもらえることがあって、2014年に日本画コースを卒業した品川亮さんは、自分の作品を販売する会社(株式会社SHINAGAWA STUDIO)を立ち上げました。
そのときには出資者が現れたり、経営コンサルの方がサポートしくれたり、ぼくたちもネットワークのアレンジをしたりしています。アフターケアは割と手厚くて、卒業後10年はケアしていますね。家電量販店の10年保証みたいな(笑)。
椿:最初は400万円くらいでしたが、それから600万円、800万円と上がってきて、2020年度は初めて1,000万円を越えました。売り上げはもちろん、学生が100パーセントもらっています。
ちなみに昨年度は1,000万円のうち、200~300万円くらいは内需によるものでした。学生同士で買うこともありますし、後輩が尊敬する先輩の作品を買うことも、職員が気に入った作品を買うこともあります。お互いの作品に対して、買い手の目線で見ることができるようになったのも、卒展をアートフェア化したからですね。
アーティスト=スタートアップ
椿:ひとことで言えば、クオリティ・オブ・ライフです。どんな生き方をしても、人生の質を高められること。あらゆる局面で工夫ができること。プレイヤーとして何かに参加できること。自分で何かができる人を育てたいですね。
たとえば、自分が欲しい食器を焼いて、オーガニックの野菜を乗せて食べてみたいでもいいし、自分で会社を立ち上げたいでも、なんでもいいんです。どんな仕事に就くかより、どんな風にクリエイティブに生きるかが大切なので。
椿:小さなことでも形にすることが大切だと思います。
先日あるプログラマーの方が、ものをつくるモチベーションは「けしからん」という感情にあると話していました。「なんでこうなってないねん」という不満を見つけて「もっと良いものを作ってやろう」と思うことが大切で。出来ない理由を探すことは簡単だけど、どんなに小さなことでも、違和感を形にすることが大切だと思います。
椿:そうですね。先ほども話題に出たアメリカの大学では、卒業後の進路のトップが起業で、2番目がGAFA、3番目がレガシー企業、4番目がそれ以外となっています。
日本の大学は逆で、未だに就職が一番とされていますよね。でも美大には、スタートアップ志向の学生がたくさんいます。日本にはGAFAはないので、スタートアップ、レガシー企業、一般企業という順番を美大で作れないかなと思っているんです。
それに、大学が取りがちな「とにかく就職しろ」という姿勢は、学生の自尊心を傷つけることもあります。一方でうちは私立大学なので、最低限、卒業後に学資ローンを返済できるようにはしてあげたい。だから、就職も起業も同列に扱いながら、スタートアップを望む学生にはできるだけ支援してあげられるような体制を整えています。
アートを「普遍的職業」にする
椿:どの先生も第一線で活躍していて「学内でしか通用しない先生」ではないことです。そういう人たちと若いときに知り合った経験が、卒業後も追体験として未来を切り開く力になります。
教員全員が現場に出て毎日シビアな戦いをしています。ぼくも毎日、協賛企業や行政の人と会っていますし、先生同士もお互いにプレイヤー同士として、良い意味で緊張感があります。
椿:社会を変えることは生易しいことではないので、ぼくたちも特権的な立場に居直るのではなく、同じ場所で闘っているよと行動で示しています。ヤノベさんにしても、名和晃平さん(大学院美術工芸領域教授)にしても、ぼくにしても、自分の制作をしてちゃんと発表しているので学生が耳を傾けてくれるんです。
椿:教職員の距離感は絶妙だと思います。教員が特別な存在ではなく、ぼくもスタートアップ支援室長の吉田大作さんとは常に連携していますし、教員と職員でビジョンも共有しています。
お互いに相談し合うこともしょっちゅうです。職員もみんなクリエイティブでいたいと思っていて、スピード感もあるので、大学が急成長できたのもそこの部分がとても大きいですね。
椿:それはぼくだけでなく、1998年に日本の美大で初の通信教育部ができたときも、2005年にこども芸術大学が設置されたときも、最初は理事長発でアイデアが出て、一気に実現まで進んだそうです。その背景には「みんなのもとにアートを返そう」という理念があります。
椿:ぼくは「普遍的職業」と呼んでいるんですが、たとえば、江戸時代の農業は、読み書きができなくてもご飯が食べられる仕事として存在していました。絵を描くこともそれと同じで、家柄や階級、うまい/へたでもなく、みんなに開かれた仕事、普遍的職業なんです。
印象派がすごいのは、それまでは特権階級の仕事だったアートをみんなのものにしたこと。ゴッホはもともと牧師でしたし、ゴーギャンは株の仲買人でした。印象派が登場したことによって、誰でもアートに新規参入できるようになったんです。
一方の日本では、江戸時代まではアートはみんなのものでした。それが明治になってから、美術館ができて美術大学が生まれて、アートが一部の人のものになっていきました。それをもう一度、みんなのものに返そう、普遍的職業にしようという理念が京都芸術大学にはあるんです。
通信教育部にしてもこども芸術大学にしても、その理念のもとで立ち上げられていて、ぼく自身もかつて印象派が行なったように、美大教育を通じてアートを普遍的職業にしたいと思っています。
「美大教育の最前線」を目指して
京都芸術大学の通信教育部には、18歳から96歳まで、1万人以上の学生が在籍している。
「美大生」と聞くと、つい20歳前後の若者の姿をイメージしてしまいがちだが、実際には年齢もライフステージもさまざまな「美大生」が全国各地に存在しているのだ。
椿さんと話すなかで、その1万人以上の「美大生」の人生に思いを巡らせた。ハッとさせられたのは、「美大教育とキャリア」について考えるとき、つい「就職か独立か」の二項対立で考えがちなことに気がついたことだった。実際には、美大教育の影響範囲はとても広く、その関わりの深度もさまざまである。そのレンジの広さこそが「アートをみんなのものにする」一番の要因かもしれない。
アーティストをスタートアップとして見るという視点も新鮮だった。
アート/デザインにとどまらず、クリエイターは基本的に一人親方であり、社長である。その点においては、他分野ともっと接続して考えられるだろう。
以降の記事では、今回得られた「アーティストをスタートアップとして見る」という視点をよりデザイン的な角度から掘り下げるべく、先ほども話題に挙がったスタートアップ支援室長の吉田大作氏、株式会社CHIMASKI代表/伝統文化イノベーション研究センター所長の酒井洋輔氏、そして現役の学生のインタビューをお届けする。
そしてさらに、ウルトラファクトリーでディレクターを務めるヤノベケンジ氏、KUA ANNUAL 2022でゲストキュレーターを務める服部浩之氏、同展でアシスタントキュレーターを務める学生たちへのインタビューも公開する予定だ。
アート、デザイン、学内公募プログラムを通して、京都芸術大学の取り組みを立体的に眺めることで、「美大教育の最前線」とその核心に迫っていきたい。
※次回「京都芸術大学の現在 vol.2」は2022年1月下旬公開予定です。
「学生選抜展 KUA ANNUAL 2022」
会期:2022年2月24日(木)〜26日(土)
会場:東京都美術館(東京都台東区上野公園8-36)
電話番号:03-3823-6921
開館時間:9:30~17:30(入場は閉館の30分前まで)
公式Twitter:@kua_annual
プレビュー展
会期:2021年12月3日(金)〜19日(日)
会場:京都芸術大学ギャルリ・オーブ
開館時間:10:00~18:00(事前予約フォーム)※会期中、一般来場者は土日のみ来場可能
椿 昇(つばき・のぼる)
1953年京都市生まれ。京都市立芸術大学西洋画専攻科修了。日本を代表する現代アーティストの一人であると同時に、卓越した教育者でもある。アートの新しい可能性を探る実践も多く、妙心寺退蔵院の襖絵プロジェクトやアーティストフェアKYOTO。瀬戸内国際芸術祭2010~2013小豆島ディレクター、青森トリエンナーレ2020ディレクター、3331アーツ千代田評議委員長など活動は多岐にわたる。