若手修復家インタビュー:《玄武洞図屏風》修復から見えてきたこと日本最古で最新の芸術大学 vol.3

NEW Sep 27,2024interview

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若手修復家インタビュー:《玄武洞図屏風》修復から見えてきたこと 日本最古で最新の芸術大学 vol.3

文:
TD編集部 藤生 新

京都市立芸術大学が2023年10月にキャンパス移転を果たした。「日本最古で最新の芸術大学」シリーズの第三弾として、同大大学院の保存修復専攻を修了した修復家の山下野絵さんと鄭卉芹(てい・きせり)さんに、京都芸大出身の日本画家・西川桃嶺(とうれい)が手掛けた《玄武洞図屏風》の保存修復プロジェクトについてお話をうかがった。

前回の記事:芸術資料館「京都芸大〈はじめて〉物語」をあるく 日本最古で最新の芸術大学 vol.2

若手修復家たちの学生時代からのあゆみ

おふたりは現在、美術品の修復を行う民間企業に勤務中とのことですが、学生時代からの歩みを教えていただけますか。

山下野絵氏(以下、敬称略):私は美大の出身ではなく、奈良の教育大学を卒業してから京都市立芸術大学(以下、京都芸大)大学院の保存修復専攻に進学しました。きっかけは、学部で取り組んだフィールドワークで日本の文化財、とくに絵画に使われる伝統技法や道具の使い方の研究、復元模写の制作などを手がけたことでした。

山下野絵氏

そこからだんだん日本の伝統的な絵画に興味が湧き、大学院で研究したいと思うようになりました。学部時代には国宝の絵巻物の復元模写をして、院進後には春日大社(奈良)に伝わっている2点の絵画作品を研究対象にして。

どんな絵画だったんですか?

山下:ひとつは《春日名号曼荼羅》(奈良国立博物館蔵)で、全く研究がされていない作品でした。自分で一から調査を始める必要があったので、博物館で写真を撮るところから始めて、赤外線写真や蛍光X線分析などで元素を調べたりもして。
とても大変な作業でしたが鍛えられました。そしてもうひとつは、国宝の《春日権現験記絵》(宮内庁蔵)。春日大社の伝承や成り立ちをまとめた絵巻物で、その一部を復元模写しました。

鄭さんの学生時代は?

鄭卉芹氏(以下、敬称略):私も山下さんと同じく学部は他大で、台湾の大学の美術学科を卒業しました。台湾の大学ですが、日本画のゼミがあって、3年生の時にそこに入って卒業制作も日本画でした。

大学1年時に初めて日本画に触れたときには「これは何?」とチンプンカンプンだったんですが、画材や道具に触れるうちにだんだん興味が湧いてきて。将来は日本で勉強したいなと思うようになって、日本語の勉強を始めたんです。

鄭卉芹氏

最初に来日したの2020年のこと、交換留学生としてでした。その頃にはただ制作するだけでなく「画材や歴史のことをもっと深く知りたい」と思うようになり、制作を支える素材と歴史も探究し始めていたんです。

京都芸大には研究留学生として入学し、2022年に大学院に合格して保存修復を専攻。主な研究として絵画部門の国宝第一号《普賢菩薩像》(東京国立博物館蔵)の想定復元模写を行いました。

保存修復専攻とは?

保存修復専攻とはどんな専攻なのでしょうか?

山下:主に日本の伝統的な絵画の復元模写と保存修復を学ぶ専攻です。ところで模写には何種類もあるって知っていましたか?

いえ、知りませんでした。

山下:まず「現状模写」は、現代の私たちが見ている姿そのままの状態で再現する模写のことです。それに対して、私たちが主に取り組んでいた「復元模写」は、現状模写からさらに踏み込んで、描かれた当時の色を再現しようとするものです。

そのためには、当時の天然絵の具や素材を研究する必要があります。私たちが所属していた研究室では、現代の化学的な絵の具ではなく、昔ながらの植物や石から採れる絵の具を使うことが推奨されていて、描かれた当時の状況を想像しながら模写していました。

また、作品を後世に残していくために必要な「保存修復」の技術も学びました。「絵画」と一口に言っても、掛け軸や巻物など色々な種類があり、それぞれの構造や形に合わせた方法があるんです。

:「復元模写」についてひとつだけ補足すると、私たちが推奨されていたのは、できるだけ当時と同じ条件下で模写する「同素材同技法」。たとえば、絹に描かれた作品であれば絵絹に模写することが望ましいです。ほかにも、麻や紙、板などさまざまな基底材があります。

なぜ、同じ素材・同じ技法の模写が推奨されていたのでしょうか?

:絹の場合、絹にしか表現できない特殊技法の「裏彩色」があります。これは絹の裏面に彩色する技法で、紙では再現できません。しかも絹にも糸の織り方や太さ(デニール)と密度によりたくさんの種類があり、それぞれ厚みや透ける程度が違うので、裏彩色の効果も変わってくるんです。

また、たくさんの古い仏画では絹の裏面に金箔を貼ることで表面の彩色に深みと輝きを与える「裏箔」という技法が多く使われました。このように、当時と同じ素材・技法を使わないと再現できない表現があるんです。

仮掛け軸の作成作業風景(提供:鄭卉芹氏)
他大にも保存修復専攻がありますが、「復元模写」や「同素材同技法」を重視するのは京都芸大ならではの方針なのでしょうか?

:他大のことはあまり詳しくないのですが、修士レベルでは復元模写をさせてもらえず、現状模写しかできないところがあると聞いたことがあります。

山下:京都芸大の保存修復は、早い段階から復元模写に取り組めるのが魅力だと思っていました。院生のうちから自分がやりたいことや描きたい絵を試しながら、先生とも踏み込んだ話し合いができる。大変でしたが学びは大きかったです。

:先生はいつも私たちに寄り添ってくれるスタンスで、たとえば先輩が「屏風の形態の作品を作りたい」と言ったときには、皆を唐紙の店までわざわざ連れ出してくれました。

私も「截金(きりかね)がしたい」と話したところ、道具の作り方を教えてくれました。とにかく「これをしたい」という希望のすべてに真摯に向き合ってくださったんです。

想定復元模写が完了した《普賢菩薩像》を囲んで、前京都市長・門川大作氏(左)、鄭氏(右)

西川桃嶺《玄武洞図屏風》修復から見えてきたこと

前回記事の田島達也先生のお話の中で、お二人は西川桃嶺作《玄武洞図屏風》の復元作業に携わられたと聞きました。これはどんなプロジェクトだったのでしょうか?

山下:西川桃嶺という画家は京都芸大の初代卒業生で、私たちからすると大先輩です。西川の描いた《玄武洞図屏風》が、今は歴史博物館になっている元小学校の校舎に保管されていたそうで。それを後輩である私たちが実習として修復したのがプロジェクトの概要ですね。

西川桃嶺《玄武洞図屏風》(大正6年)

:私は2021年に保管場所へ現地調査に行ったんですが、屏風以外にも掛け軸や水墨画のような作品もたくさんあって。その中で私たちが担当したのが《玄武洞図屏風》でした。

最初の調査時に作品は屏風から外されてバラバラの状態で保管されていました。ほかの作品も裏打ちはされていましたが散らかっていて。まずは作品の点数、サイズ、状態を記録する作業が必要だったんです。

その後、大学に作品が運ばれてきて詳細調査と修復作業を始めたのが2022年の4月のこと。それから2023年2月まで修復作業に取り組みました。

《玄武洞図屏風》調査風景(提供:山下野絵氏)
修復中に印象的だったことは何ですか?

山下:この作品はパッと見では白一面に見えますが、実際にはところどころで緑や赤茶色が使われています。「ここはちょっと緑がかかっているから、違う絵の具が使われているんじゃないか」とか「ここは赤茶気味だけど、全く違う元素の測定結果が出たね」とか。目に見えるものを科学的に分析することで、曖昧な直感が裏付けられていく過程が印象的でしたね。

もうひとつ思ったことは、修復する前に記録をとることの大切さです。一度修復してしまうと修復以前の姿は見ることができなくなってしまいます。だから闇雲に修復するのではなく、事前調査も修復と同じくらい大切だということがわかりました。

:私は日々の修復作業が印象に残りました。保存状態が良くなかったため、絵の具の剥落がかなりあって、特に白い絵の具の剥落が大変でした。それらに対してどう対処すべきか、修復時に新たな剥落が起きないように気を付けないといけないことは何かなど、かなり神経をすり減らす作業でしたね。

《玄武洞図屏風》剥落止めの作業風景(提供:山下野絵氏)

修復=制作の逆再生?

お二人が復元模写で取り組んだ作品は平安〜鎌倉時代のものでしたが、《玄武洞図屏風》は明治期と比較的新しい時代のもので、しかも作者は「先輩」でもある。それまでの研究とは違う点はありましたか?

山下:新しい時代の作品ということもあり、筆跡がしっかり残されている部分があったり、使われている絹が現代のものに近かったりして、とても生々しく感じました。昔の作品だと劣化して見えない部分も多いですが、《玄武洞図屏風》では筆跡がはっきり確認できたので。

修復作業中、難しかったことはありましたか?

:修復作業をしているとその人の描き方が見えてくることがあるのですが、西川の場合、描き方に安定したルールがないなと感じていました。たとえば、屏風の箇所によって絵の具の層の重ね方が違うんです。それは近代的な自由であるかもしれないし、単に適当なのかもしれない。安定した描き方がない分、修復が難しかったというのはありましたね。

山下:仏画などでは決められた技法の範囲内で自由に振る舞うことが多いのですが、西川の時代になると描き方が良くも悪くも自由になる。「なぜここにこの色を置いたんだ?」とびっくりする場面は何度もありました。

《玄武洞図屏風》損害状況の確認風景(提供:山下野絵氏)

技術を未来につなげるために

これからの展望はありますか?

:以前、台湾から依頼された修復を見た際に、台湾と日本の修復には昔からつながりがあることがわかりました。日本の修復の技術は、台湾と異なるところがあって、台湾でも修復の技術者が欠けている状態です。そこで日本の技術を台湾に伝えたり、台湾の技術を日本に伝えたりと、お互いに技術を高め合っていけたら嬉しいです。

山下:私はもっといろんな文化財に出会って修復したいですね。自分が一から修復した作品が展示されている様子を博物館などで見れたら感無量だなと。

日本の文化財はもろいので、修復が必要であるのに直せていないものがたくさんあります。でも修復には多大なお金がかかるし、修理されずに朽ちていく作品も多いということを最近改めて知りました。私たちが見ている作品は全体のごく一握りだけれど、直すべき作品はまだまだたくさんある。そのことを皆さんにも知ってもらいたいと思います。

本当に、いま一般的に目にできる文化財は全体のごくごく一部なんでしょうね。

山下:そうですね。あとは日本の和紙や道具の継承者も年々少なくなっていて、たとえば美栖紙(みすがみ)という紙をつくるお店もごく少数しか残っていません。

日本の技術を内外に発信して現状を知ってもらって、近い将来消えてしまうかもしれない技術を、海外の力も借りながら残していけたら嬉しいですね。

編集後記

現状模写と復元模写の違い、同素材同技法で模写をすることの意義、修復作業を通じて作者と「対話」できること、修復は制作の逆再生のようであること──どれもこれまで聞いたことのない話ばかりで、現場でこそ得られる貴重な話を聞くことができた。

モノである作品にとって、それを成立させる素材や画材は必要不可欠。しかし時代を経るなかで素材や画材を取り巻く環境は変化し、再現が難しくなった表現もあれば、今まさに消えつつある素材もあるということを改めて知ることができた。

ふたりが修復した西川桃嶺の《玄武洞図屏風》は、六曲一隻の全長が縦165 × 横378cmという大規模な作品だ。京都市立芸術大学芸術資料館移転記念特別展「京都芸大〈はじめて〉物語」の第3期「道を拓きしものたち 知られざる先駆者」で展示されている。会期は2024年9月21日(土)~11月24日(日)まで、ぜひ足を運んでみてほしい。

Info
京都市立芸術大学芸術資料館移転記念特別展
京都芸大〈はじめて〉物語

会場:芸術資料館(京都市下京区下之町57-1)
第1期 カイセン始動ス! 京都市立絵画専門学校に集いし若き才能
会期:2024年4月6日(土)~6月2日(日)※終了

第2期 「日本最初京都画学校」 京都御苑からの出発
会期:2024年6月15日(土)~8月12日(日・休)※終了

第3期 道を拓きしものたち 知られざる先駆者
会期:2024年9月21日(土)~11月24日(日)

第4期 Road to GEIDAI 美術学部改革と新しい教育をめぐって
会期:2024年12月7日(土)~2025年2月11日(火・祝)

 

山下野絵(やました・のえ)

1999年、長野県生まれ。日本の伝統絵画の技法を専門に学び、模写制作等を行った。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。現在は株式会社光影堂にて日本の伝統絵画、書籍、歴史資料等を修復する仕事に携わっている。

鄭卉芹(てい・きせり)

1997年、台湾屏東県生まれ。2020年、昭和女子大学交換留学生。2024年、京都市立芸術大学大学院美術研究科保存修復専攻修了。修士論文の研究テーマは「絹本絵画における技法および素材の研究ー東京国立博物館所蔵「普賢菩薩像」の想定復元模写ー」。現在は株式会社修美にて日本の伝統的な掛け軸、障壁画など絵画作品を中心に修理する仕事を務めている。

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