May18,2018
interview
個性的で特徴のある書体ではなく「ふつう」の本文用書体にこだわり、文字を作り続ける、書体設計士・鳥海修(とりのうみ・おさむ)氏へのインタビュー。その名を知らずとも、私たちは彼が手がけてきた文字を無意識のうちに使ったり読んでいたりする。第一回目は代表作である「ヒラギノ」と「游明朝」について、そして彼がこだわる「ベーシック」のつくり方について聞いた。
写植
写真植字の略。活字を用いず、文字板からレンズを使って一字ずつ感光紙またはフィルムに印字し、印刷版を作ること。現在はデジタル化が進み少なくなっているが、滑らかで美しい特徴を持つ写植文字を愛する人は多い。
鈴木勉(すずき・つとむ)
書体デザイナー。写研を経て、鳥海氏と片田氏と一緒に字游工房を創設。1972年「スーボ」、1974年「スーシャ」と写研主催の石井賞創作タイプフェイスコンテストで20代前半という若さにして2回連続で最優秀賞の石井賞を獲得。その他、写研から字游工房での約30年間にわたり、ゴーシャ、秀英明朝、ゴナファミリー、本蘭明朝ファミリー、織田特太楷書、ヒラギノ明朝体、ヒラギノ角ゴシック体、痩金体、ヒラギノ特太行書体、游築36ポ仮名と、多くの書体を手がけた。1998年、49歳の若さにして逝去。
石川久楊(いしかわ・きゅうよう)
書家。1945年に福井県で生まれ、5歳から木村蒼岳塾に学び、8歳で杉本長雲に入門。中学では垣内楊石に師事し、1字をもらい九楊と号する。1963年、弁護士を目指し京都大学法学部に入学するが、在学中から作品を発表し、卒業後は弁護士の道には進まず書家として活動を続ける。1979年に独立し「筆蝕」や「書の文学的表現」に着目した独自の書論を展開していく。1990年『書の終焉』でサントリー学芸賞、2002年『日本書史』で毎日出版文化賞、2009年『近代書史』で大佛次郎賞を受賞。
平野甲賀(ひらの・こうが)
装丁家。グラフィックデザイナー。高島屋の宣伝部を経てフリーランスとなり、多数のポスターや舞台美術のデザインを行う。1964年以降には晶文社のほぼ全ての本の装丁を手がけ、1984年に木下順二著の「本郷」(講談社)の装丁で講談社出版文化賞・ブックデザイン賞を受賞。これまで手がけた本は7,000以上。2007年、これまで装丁などで制作した描き文字を集め「コウガグロテスク」という書体を制作。2014年に小豆島へ移住し、オンラインマガジン「その船にのって」http://sonofune.net/のメンバーとして活動中。
藤沢周平(ふじさわ・しゅうへい)
小説家。本名は小菅留治(こすげとめじ)。1971年に「溟い海」でオール讀物新人賞、1973年に「暗殺の年輪」で直木賞を受賞。微禄の藩士や江戸下町に生きる人々を描いた時代小説、歴史上の事実や人物を題材とした歴史小説など数々の作品を発表。吉川英治文学賞や芸術選奨文部大臣賞、菊池寛賞、朝日賞、そして1995年には紫綬褒章受章。また1985年から1996年まで、直木賞の選考委員をつとめた。1997年、逝去。
橋本和夫(はしもと・かずお)
「フォントデザインの生き字引」とも呼ばれる、書体設計士。イワタ顧問。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。
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