前回の記事:
山形で考える、これからのアート/デザイン教育:前編
東北芸術工科大学・中山ダイスケ学長インタビュー
デザインには、人とのつながりやアナログな作業が必要だ
菅原颯太氏(以下敬称略):グラフィックデザイン学科4年の菅原です。山形生まれ、山形育ちです。紙媒体などのエディトリアルデザインを中心に、ウェブやブランディングなどの幅広い領域でグラフィックデザインを学んでいます。
神谷雨音氏(以下敬称略):同じく4年の神谷です。私は部分的なデザインよりも全体的なブランディングデザインに興味があり、授業外でもいろいろなプロジェクトに参加してきました。
藤原夏氏(以下敬称略):同じく4年の藤原です。私はタイポグラフィ、ブランディング、写真などを通して、地域に根差したデザインをすることに関心があります。
藤原:この3人は全員、山形のプロバスケットボールチーム「パスラボ山形ワイヴァンズ」のデザインプロジェクト「Team Assist」に参加していました。具体的な取り組みとしては、ロゴマーク、マスコットキャラクターのヴァンゴー、タオルなどのグッズデザインや、試合前におこなうワークショップの企画などを実施しました。
菅原:ぼくたちはデザイン系なので、最低限パソコン一台があればどこでも制作できると思っていました。でもいざコロナ禍で行動が制限されると、実はデザインする上でも、人と人の密接な距離感が必要だったんだなと気づきました。
アナログな作業の重要性も再認識しました。作品にしても、ただデータを作成して終わりではなく、一度紙に出力し、肉眼で見て手で触れるフィジカルな過程を経ることが、デザインをより良くするためには欠かせない作業なんだなと。
藤原:すごくわかります。私の場合、授業後に友だちと意見交換する時間がなくなったのがかなり痛くて。「Team Assist」のプロジェクトでも、コロナ禍で対面を前提にしたワークショップができなくなってしまったので、どうしたらいいのかわからずに踏みとどまった期間が半年くらい続きました。
神谷:たしかに大学に行けなかった期間は、何か対策を考えても社会情勢の方が変わってしまって大変だったよね。
個人的にこのコロナ禍で大きかったのは、デザイナーの原田祐馬さん(UMA/design farm代表)が立ち上げた「One Day Esquisse(ワン・デイ・エスキース)」に参加したことでした。
2020年4月1日に始まったOne Day Esquisseは、全国の美大生がオンラインで1日1問の課題に取り組むデザインスクールです。例えば「家のなかにあるもので、家を出ずにお隣さんに売れるものを考えなさい」とか。毎朝の出題にその日の夜、答えるという日々を送っていたんです。
そこから発展させる形で「窓から見える風景を撮影して、「#OneDayWindow」というハッシュタグ付きでSNSに投稿する」というムーブメントが生まれたり、昨年秋には講義録が書籍化(『One Day Esquisse:考える「視点」がみつかるデザインの教室』)されたりと、さまざまな展開に繋がりました。
プロジェクト自体はもう一区切りついたんですが、コロナが落ち着いたタイミングで参加者同士で集まるなど、山形にいただけでは知り合えなかった仲間ができたという点では、この1年間の状況も決して悪くはなかったなと受け入れています。
山形ならではの学び
菅原:ぼくはこれまで20年以上山形で過ごしていながら、あまり山形のことを知らないなと思っていました。なので、芸工大を通じて改めて地域に向き合うきっかけをもてたらな、と。たとえば、山形ビエンナーレ[注:山形市内を舞台に、東北芸術工科大学が2年に1度主催している芸術祭]では、デザインとアートや、プライベートとパブリックなどの垣根を越えて、幅広く山形に向き合えたのがよかったです。
神谷:私は宮城から山形までバスで通学しているんですが、宮城と山形、それぞれの地域を眺める2つの視点を獲得できたことがよかったと思っています。というのも、昔好きだった宮城のイベントに芸工大がデザインで関わっていたのを知ったときがあって。高校時代になんとなく「いいな」と感じていたことの答え合わせをするみたいに、漠然とした気持ちが一歩進んで、地域やデザインに対して自分事として向き合えるようになりました。
それと山形は、人と人の距離感が近いのがいいですよね。カフェで働いている卒業生から「〇〇学科に面白い子がいるよ」と紹介してもらったり。町中にハブになってくれる人がたくさんいます。
藤原:私も秋田から山形に来てみて、山形って本当に地域の人たちから愛されている町なんだなと思いました。そう思っていたら自分もだんだん山形が好きになってきて、プロジェクトに関わるときにも、自然と「山形のために何かしたい」と思うようになりました。
菅原:たしかに「みんなで山形を楽しもう」みたいな共通認識があるよね。それが結果的に人と人を繋げるきっかけになったり、制作のきっかけにもなったりするので、いろんなことの土台に「山形」があるんだなと思います。
「東北」という強み
菅原:グラフィックデザイン学科では、学校の裏山でタイポグラフィの授業をするんですよ。「自然物から文字を探す」というもので、地面の形や葉っぱの葉脈をアルファベットに見立てるみたいな授業内容ですね。自然をミクロな視点で見たり、形の意味を突き詰めて考えてみたり、1年次の授業でしたが、人工物を見るよりもたくさんのデザイン的な発見がありました。
藤原:あとは、「身体とデザイン」の授業で、全力疾走した後、ドローイングしたりね。
神谷:授業以外でも山で遊ぶことが多いよね。自然のある場所に行くと、友だちとお互いに深い部分の話になることが多くて。芸工大の友だちとは、当たり前のように深く話し合える仲になれたのがよかったなと思っています。
藤原:私は地元秋田のデザイン会社から内定をもらいました。その会社のインターンシップにも参加したのですが、地元にはデザインの会社が少ないからこそ、いろんな作業を分担するのではなく、文章も写真もウェブもみんな一人でつくるみたいな環境があり、それにやりがいを感じました。元々デザインを仕組みから考えていくことに関心があったんですが、地域のコミュニティも仕組みのレベルから支えていけたらいいなと思っています。
菅原:ぼくは3年の後期からUI/UXに興味をもち始めて、卒業後は東京でUI/UXデザインの会社に就職することにしました。コロナ禍によって、さまざまな事柄がDX(デジタルトランスフォーメーション)化しています。その中で自分が挑戦してみたいUI/UXの領域で、大学で学んだ「感情に寄り添うデザイン」を生かせればなと考えています。
実際に酒田駅前再開発工事の仮設壁アートイベントやその他のプロジェクトに参加して、課題解決のために本当に必要なのは何なのかを考え、チームで土台の認識を整えることが大切なんだと実感するようになりました。
神谷:私は、東京にある事業会社のブランディングコミュニケーション部に、デザイナーとして就職する予定です。徐々にデザインの現場が東京から地方に広がってきているのを感じていて、企業も地方向けのサービスを積極的に展開している中で、「東北出身」という経歴が武器になると思いました。
加えて、自分が20年以上暮らした土地を客観的に捉える時間もほしかったので、東京だけでなく、関西方面での就職も考えていました。「東北ブランド」は、就活中に実感したものです。地方出身者の目をもちながら、デザインが盛んな場所に身を置くことが、芸工大を出た自分の強みになるはずだと思っています。
取材後記
東日本大震災から10年が経ったいま、「東北」という言葉の印象が大きく変わったことを実感させられた。
2011年からの10年間、東北ほど、自らの足元=基盤に向き合ってきた地域はないだろう。中山学長、そして学生たちの言葉の端々からは、彼らが日常的に東北で/について考えていることが感じられ、とくに後編の最後に出た「東北ブランド」という言葉には、思わずハッとさせられた。その言葉には、この10年間の東北の方々の見えざる努力が凝縮させられているように感じたからだ。
なぜ、東北芸術工科大学は、全国の美大の中でも突出した存在に見えるのか?──取材を通して、筆者が知りたいと思っていた疑問の答えは、それなりに得られたと思う。
社会希求による開学、大学の程よい規模、革新的なプロジェクトなどに加えて、深いレベルでの地域との対話が実現しているからこそ、芸工大は、コロナ禍も含めた社会の変化に惑わされず、一貫した大学運営/学びの継続に成功しているのではないだろうか。
もちろん、美大教育における正解はひとつではない。しかし、芸工大の取り組むアート/デザイン教育は、地域の特性に根差したものとしては、これ以上ないほどの説得力をもっているものに感じられた。