【連載】カーデザイナー・トム俣野とロードスターvol.1 初代ロードスターはこうして生まれた

Dec 22,2017interview

#Miata

Dec22,2017

interview

【連載】カーデザイナー・トム俣野とロードスター vol.1 初代ロードスターはこうして生まれた

文:
TD編集部

2017年初夏。初代ユーノス・ロードスター(海外名:MX-5 、米国名:MX-5 ミアータ)のデザインを手がけたトム俣野氏の来日に合わせ、TDでは独自インタビューを敢行した。聞き手は雑誌「CAR STYLING」初代編集長、藤本彰氏。当時を振り返って日本の読者に初めて語られるロードスターの開発秘話や俣野氏のデザイナーとしてのあゆみ、そして学生や若手デザイナーに向けてのメッセージを5回連載でTDの読者だけに特別にお届けする。

聞き手:藤本 彰
画像提供:俣野 努 氏、MAZDA Media web

(前回の記事)Sneak preview「カーデザイナー・トム俣野とロードスター 」

「感性エンジニアリングの未来像」という課題から生まれたプロジェクト

俣野さんは数々の名車のデザインに携わってこられましたが、今回は特に「初代ユーノス・ロードスター(海外名:MX-5 、米国名:MX-5 ミアータ)」の開発当時にフォーカスしてお話を伺っていきたいと思います。ロードスターは世界各国で販売されており、名称がいくつかありますが、今日はあえて「ミアータ」に統一して聞いていきましょう。まずは開発前のお話を伺いたいのですが、手がけられた当時から、マツダにはミアータのような小型スポーツカーの開発を手掛けようという気運があったのですか。ミアータが生まれたきっかけはどういったものだったのでしょう。

俣野:僕がマツダに移ったのは1983年末のこと。北米マツダは当時、単なる駐在所でした。そこに「プラン・アンド・リサーチ」というスタジオを設け、フルサイズ(実寸)のクレイモデルを作り始めたんです。福田成徳さんが部長として着任された直後でした。福田さんはデザイン部出身だったのですが、アメリカにはプランナーとして来ていました。他のプランナーはメカだの性能だの数字には詳しかったのですが、車の匂いとか味とか、人の気持ちが全然入ってこない人でね。それで僕が中心となって福田さんとデザインを手掛けることになったというわけです。

当初、北米マツダでは、MPVの開発を進める案とライトウェイト・スポーツを進める案とがありました。両方の絵を描いて提案していたんですが、そこへ開発本部から「感性エンジニアリングの未来像を描け」という課題が出たんです。僕の頭の中では「マツダにはRX-7がある。こういう感情のこもったモノづくりこそが生きがいである」という考えがあり、それをもとに福田さんと僕とで毎日、皆が帰宅した後、当時の山本健一会長提案の感性エンジニアリングに沿ったデザイン思想とは何か、案を練りました。
そんな時、たまたま山本会長がアメリカに出張にいらしたんです。デザインとは別件の視察でしたが、新しいスタジオ(といってもワンルーム)をお見せすることになりました。まだプロジェクトもスケッチ段階でしたから、我々の作ったデザイン思想、「ロマンチック・エンジニアリングとトキメキのデザイン」と題したプレゼンをしました。これが全てのきっかけですね。

都内某所で行われたインタビュー。インタビュアーは俣野氏と旧交のある、雑誌「CAR STYLING」初代編集長、藤本彰氏。

数ヶ月後に福田さんは任期を満たさず本社に呼び戻されてしまいました。ただ、福田さんが本社に戻ったことで、結果的にこの思想共有者が日本と米国で相互にプロジェクトを推進できることになりました。

福田さんとはとても気が合いました。福田さんが在米中、進行中のクレイが全然気に入らず、夜に2人でクレイを削り始めたことがあったんです。フロントとリアの両方からそれぞれ削り始めて真ん中まで作ったら、ほぼ同じようなニュアンスで大笑いしました。
また、プロジェクトの内容について福田さんが役員から質問を受けた際、本社でどう答えていたのか私には知らされていませんでした。ところが役員がアメリカに来て同じ質問を私にしたところ、福田さんと同じことを答えたそうです。日米の担当者が同じことを答えるんですから、役員は信用しますよね。

俣野氏から見せていただいた貴重な初期のスケッチ。

「Zoom Zoom」のスタート地点はここだった

いよいよ、後に日本でロードスターとして発売され一世を風靡する「ミアータ」の開発プロジェクトが始まるわけですね。当初はどのようなコンセプトでスタートしたのでしょう。

『トキメキの世界』というものでした。これは皆さんご存じのマツダのキャッチコピー、『Zoom Zoom』のもとになった考え方です。
皆さんが高速道路を走行中、マツダの車に追い越されたとしましょう。追い越していった車の後ろ姿がなんだか気になった。そのうちに街やテレビのコマーシャルでも見かけて、いったいどんな車なんだろうと興味を持つ。調べてそれが『ミアータ』だと分かります。ついにはディーラーに行って実物を確かめたくなる。実際に車を見たらドアを開けたくなり、試乗したくなる。その時点で既に、運転したらどんな気持ちになるだろうと期待値も高まっているわけです。
いざ試乗してみると、エンジンがかかった瞬間、その期待値を上回る心の高まりを実感します。最初のコーナーへ向けてハンドルを切ったら、イメージ通りにすっと車が曲がる。走るほどにその車が気に入ってくる。試乗が終わったら満足し、車を購入する……。

こうしたプランニングにもとづいて「顧客が販売契約書にサインするところまで」がこれまでの開発部門の車作りだったんです。ただ、ここまでのストーリーならどの自動車メーカーでも考えること。その後のストーリーがあってこそ、本当に価値のある車だと僕は思っていました。

「買った後のストーリー」があってこそ、本当に価値のあるクルマである
 

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