Sneak Preview【連載】カーデザイナー・トム俣野とロードスター

Dec 15,2017interview

#Miata

Dec15,2017

interview

Sneak Preview 【連載】カーデザイナー・トム俣野とロードスター

文:
TD編集部

マツダの「ユーノス・ロードスター」というクルマを知っているだろうか。今から28年前、ライト・ウェイト・スポーツカーの代名詞的な一台となる初代NA型が発売され、現在4代目となるND型まで歴史が紡がれている。「世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカー」としてギネス世界記録にも認定されている、多くの人に愛されているクルマだ。今回TDでは、初代「ロードスター」のデザイン・コンセプトを手がけた一人である、カーデザイナーのトム俣野氏にインタビュー。開発秘話から俣野氏のデザイナーとしての歩みまで、じっくり伺った。

MAZDA初のレストア事業を開始、初代「ロードスター」(NA型)

少し前の話となるが、8月4日に自動車メーカーのマツダから一通のニュースが届いた。「マツダ、初代「ロードスター」のレストアサービス開始を発表」――。なんというグッドタイミングなのだろう、と思わずにいられなかった。なぜなら、私たちが初代ロードスターのデザインを手掛けたある人物への取材を済ませてから、まだほとんど日が経っていなかったからである。

俣野努氏がデザイン・コンセプトを手がけた初代ロードスター。北米では2代目までマツダ・MX-5ミアータ(Mazda MX-5 Miata)の名称で販売されていた。
「ミアータ」は古語ドイツ語で「贈り物」「報酬」の意味。

その人物とは、俣野努(またの・つとむ)氏だ。GM、GM Holdens、BMWを経て1983年に北米マツダに移籍。2002年からはサンフランシスコにあるアカデミーオブアートユニバーシティ 工業デザイン学部で学部長を勤めている、世界的に名を知られたカーデザイナーの一人である。

俣野氏は、北米マツダに移籍後、自ら「プラン・アンド・リサーチ」というデザインスタジオの立ち上げに関わり、実質的な責任者を務めた。福田成徳(ふくだ・しげのり)氏、田中俊治(たなか・しゅんじ)氏らとともに初代ロードスターのコンセプト・デザインを手がけ、初期の開発指揮を執った(当時の開発主査は平井敏彦(ひらい・としひこ)氏)。
「トム俣野」として国内外にファンの多い同氏だが、国内メディアへの露出は必ずしも多くなく、今まで彼の口から初代ロードスターの開発秘話などが一般に向けて語られる機会はほとんどなかった。しかし今年の初夏の頃、俣野氏が急遽一時帰国するという情報を掴んだ私たちは、ダメ元で取材を依頼。ついにご本人から、俣野氏とロードスターの歴史を語ってもらうことに成功したのである。
聞き手には、かねてより俣野氏と親交の深いCAR STYLING誌・初代編集長、藤本彰(ふじもと・あきら)氏を迎え、終始リラックスした雰囲気でのインタビューとなった。

聞き手:藤本彰氏(左)と、トム俣野こと俣野努氏(右)

ドラマのあるクルマ、ユーノス・ロードスター

初代ロードスターが世に発表されたのは1989年。バブルがいよいよ始まるというときだ。20代・30代のメンバーを中心に構成されるTD編集部には、その頃ロードスターがどんな驚きを人々に与え、どんな風に魅了していったのかを語れる人は少ない。しかしこれだけは全メンバーが共通して声に出した。
「なんて素敵なクルマなんだろう!」と。

どこか愛嬌のある、コンパクトで丸みを帯びたボディの2シーターのオープンカー。「とにかく高性能であること」が良いクルマの基準とされ、4WDや3列シートがもてはやされていた当時のトレンドにある種逆らう形で、ロードスターは突如現れた。エンジンも素朴な1.6リッター。100万円台で買える、小さなクルマ。「ライトウェイトスポーツカー」という市場がほとんど消えかかっていた時代に生まれ、他社も追随するように中小型のオープンカーを発表した。
初代ロードスターは1989年2月にシカゴショーで発表された。アメリカでの販売名は「MX-5ミアータ」。その4ヶ月後に日本仕様車が発表され、前述の通り国内月販100台という予測を軽々と覆し、国内ではシリーズ累計で12万台が販売された。
特筆すべきなのは、ロードスター愛好家による国内外のコミュニティ、ミアータクラブだ。ミアータクラブは瞬く間に世界中に拡がり、今も各国で定期的にファンミーティングが開催されている。日本で今年開催された「軽井沢ミーティング2017」には、1100台のロードスターが参加。同一車種で1000台が集まり、電車や他のクルマで参加するファンも多いという極めて特殊なイベントだ。現役・OBの開発陣、さらにはマツダの役員まで参加費を払って参加するというから驚きである。
ミアータ発売時のパンフレット(俣野氏提供)

そして今夏発表された、初代ロードスター(NA型)を対象として展開されるレストア事業。ロードスターアンバサダーの山本修弘(やまもと・のぶひろ)氏は今回のレストア事業の開始によせて次のようにコメントを発表している。

「だれもがしあわせになる」。初代NAロードスターのカタログに書かれているこのメッセージを、いま一度NAロードスターのお客様と共に分かち合い、お客様がご愛用の想い出の詰まったNAロードスターと、ずっと共に走り、共に歓び、そして幸せに人生を楽しんで頂きたい、そう願っております。

「MAZDAのクルマ」ではなく、「歴史に残るクルマ」を生んだ1枚のメモ

なぜ、このように「愛される」クルマを生みだすことができたのか。その開発ストーリーの中で、俣野氏は「ある一社のクルマをつくるのではなく、『歴史に残るクルマ』をつくりたいと思って手がけた」と振り返っている。

ご本人が意識していたかどうかはわからないが、その手法は極めて斬新。なんと「ブランドストーリー」の作成から取り組んだというのだ。彼が見せてくれたのは「Inspired Sensation」(トキメキの世界)という1枚のメモ。そこにはユーザーの視点で、ロードスターとの出会い、ディーラーで購入を決定するまでの心のゆらぎ、試乗時はじめてエンジンをかける瞬間、そしてなんとロードスターをやむなく手放すときのユーザーの想いまでが書かれていた。

このメモが秀逸なのは、販売する瞬間のことだけではなく、10年後・20年後の「ロードスター」というブランドについても言及されている点(なんと、一度ロードスターを手放したユーザーが20年後に中古を買い直してレストアするところまで書かれている)。
ブランドを語る上で、ストーリーづくりは欠かせないというのはいまや誰もが知ることである。今でこそユーザー体験(UX)の重要性などが語られるようになったが、まさか30年前に、既にこのような取り組みをしているカーデザイナーがいたとは。
そして、初代ロードスターが販売されて28年が経過した今、このメモで俣野氏が残した世界観を現在のマツダのみなさんが体現しているのだから、まったく嬉しくなってしまう。

2日間に渡って取材した内容を全て記事に起こしたら、なんと3万字の大作になってしまった。しかしどこも捨てられないので、思い切って長編企画に挑戦する。来週から連載でお届けしていく、俣野氏の半生とロードスターのデザイン秘話。どうか見逃さないで欲しい。

 

※「【連載】カーデザイナー・トム俣野とロードスター vol.1」は12月22日(金)公開予定です。

 

この記事を読んだ方にオススメ