前回の記事:「4輪に本格進出したHondaで、海外のトップメーカーで、「次の時代の価値」を見つめ続けてきた」
海外に出て視野が開かれると、クリエイティブな世界が広がる
青戸:やはり私はデザインの仕事がしたかったんです。ホンダを離れてからは、知人のデザイン会社に入ってカーデザインを続けていました。
そこで最初にご縁がつながったのが、当時のヒュンダイ(現:ヒョンデ)です。これから大々的にアメリカ市場に打って出ようという時期で、そのためのプレゼンテーションをする機会にめぐまれ、日本での研究所の設立に携わることになりました。
その後、2000年にはシバックス・ヨーロッパスタジオのディレクターを勤めることとになり、再びヨーロッパに渡っています。シバックスでは、国内外さまざまなメーカーとのプロジェクトに携わりました。ドイツに住んでいたときにヨーロッパ各地を訪れ、最も気に入ったのがパリだったので、2009年まで10年ほど暮らしました。
青戸:やはり、視野が広くなったと思いますね。言語や文化の違う人たちとのコミュニケーションを重ねてきたこともそうですし、何より若いうちから“いいもの”に数多く触れることができたのが、私にとっては大きな財産になりました。プロダクトデザインに限らず、例えば美術館や博物館、歴史的な建造物、風景、人々の生活なども含めてです。
ものの見方や捉え方、さまざまな価値観には、今の若い方たちにもたくさん触れていただきたいと思います。歴史的な流れからすると、日本人はそもそもゼロから新しいものを作り出すことがあまり得意ではない民族だといわれます。四方を海に囲まれた島国であるため、海外の文化を取り入れ、それをもとに独自の文化を発展させてきました。
もちろん、「だから日本は劣っている」といいたいわけではありませんよ。果たせる役割が違うだけですから。でも私は日本人であっても、海外のあらゆる価値観や文化に触れて視野を広げることができれば、もっともっとクリエイティブな世界が開け、可能性が広がると思っています。
強いチームをつくるには、「優れた個」の存在が欠かせない
青戸:うーん、そうですね……。優れたカーデザインを生み出すには組織やチームも大事ですが、何より重要なのは1人の優秀なデザイナーがその中にいるかどうかなんです。
青戸:私が入社した頃のオペル社もそうでしたが、だからこそ各国の自動車メーカーは優れた「個の力」を求めて、世界中からデザイナーを集めたり、国外の著名なデザイナーをスカウトしたりするんです。本当の意味でそうした力を持ったデザイナーというのは、100人に1人ほどしかいませんから。
逆に言えば、残り99人のデザイナーには、優れた1人をサポートする使命や役割があるともいえます。そうした役割分担がかみ合ったとき、強いチームが生まれるのではないでしょうか。
優れたデザイナーがクリエイティビティを発揮するのは「30代」
青戸:私はデザイナーとして仕事をしていくうえで、クリエイティブな力を存分に発揮できるのは30代がピークだと思っています。年齢を重ねていくと経験からくる熟練度は高まりますが、ゼロから何かを生み出す力が最も強いのは、やはりとんがっている20〜30代までですね。
青戸:もちろんそれもありますし、世界の名だたるデザイナーの仕事を見ていても、同じように感じますね。例えばイタリアの巨匠であるジウジアーロ(Giorgetto Giugiaro)やミケロッティ(Giovanni Michelotti)、ガンディーニ(Marcello Gandini)などが手掛けた仕事も、やはりクリエイティブの力を強く感じるのは30代のときのものなんです。
私が「若いうちに世界を知って視野を広げた方がいい」とアドバイスするのは、それを経験上よく知っているから。30代でクリエイティブな力を存分に発揮するためには、その前にとにかく“いいもの”と出会い、見る目を養っておく必要があります。だからデザイナーを目指す方は、20〜30代が勝負だと考えて行動してほしいですね。
青戸:そもそも新しいことにチャレンジするなら、若くて体力があり、頭が柔らかいうちの方がいいと思います。言語の習得一つとってもそうです。私は20代でドイツに渡りましたが、デザインの仕事をするため、周りについていくために、それはもう必死に英語とドイツ語を勉強しました。
でもフランスで仕事をしはじめたのは50歳を超えてからだったこともあって、10年パリで暮らしましたが、フランス語はあまり得意ではありません。年齢のせいだけではないかもしれませんが、やはり若い時分のパワーとは違うことを知っておいてほしいですね。
「自然の中にデザインのヒントがある」日本とは異なる価値観に触れた瞬間
青戸:私がヨーロッパにいたとき、日本からきた若手のデザイナーをよく連れて行っていたのは、例えばスペイン・バルセロナにあるガウディのサグラダ・ファミリアなどですね。日本人とは、スケール感がずいぶん違うことを肌で感じられる建造物ですから。ルーブル美術館や、コルビジェの建築などもよく見に行きました。
カーデザインの世界でいうと、そういえばデザインスタジオの立地に驚いたことがありました。
青戸:そうです。日本の場合、最先端のオフィスであれば、だいたい刺激の多い都心部の街中に構えることが多いですよね。でもヨーロッパでは異なる考え方をもった会社がありました。
例えばオーストリアにあるポルシェのプロダクトデザインスタジオは、街中ではなくチロルの山の中に建物があったんです。山道を延々と2時間、車で走ってようやく到着できるような場所です。仕事でそのスタジオを訪れたとき、私は思わずそこで働くデザイナーに「よくこんな山の中でデザインができるね」と聞いてしまって(笑)。
青戸:そうしたら、その人に問い返されたんですよ。「なぜ街中でやる必要があるんだ? この自然の中にデザインのヒントが山ほどあるじゃないか」と。要するに線や形など、何をデザインするにも自然が一番の先生だという考え方なんです。
ものごとの見方や捉え方には、本当にいろいろな価値観がある。私にとってはそれを実感した印象的な出来事でしたね。
技術革新が起きている今が、デザイナーにとっての大きなチャンス
青戸:身近なところだと、デザインの手法が大きく変わりました。90年代にコンピューターが登場し目覚ましい進化を遂げて、今では画面の中であらゆる作業ができるようになっています。
かつてはマーカーでスケッチを描き、クレイモデルで立体化して数値を計測していましたが、そうした作業も不要となり、短時間で正確なデータが算出できるようになりました。描いた形の修正も簡単です。
しかしそうした技術がどんなに進化しても、デザイナーであるならば最初のデザインアイデア、スケッチは手で描くべきだと思います。コンピューターはあくまでも道具の一つですから、最初から道具の性能に頼らず、自分の脳と直結している手を使うことが基本です。
実際に私がこれまで出会ってきたデザイナーで優れた仕事をする人は、みんな最初のスケッチを描くのがうまかったですよ。
青戸:そうですね。さらに大前提として、人間は自然の中で生かされているものであると忘れないことも大切だと思います。
青戸:例えば自動車でいうと、なぜEVや自動運転車などの技術が生まれているのか、その背景を紐解けばその理由がわかると思いますよ。
EVが開発されたのは、自動車から出てしまう排気ガスなどが環境に悪影響を及ぼしてしまうことがわかったから。自動運転の技術開発が進んでいるのは、そもそも時速100km以上のスピードが出るものを人間が操縦すること自体が不自然であり、危険だからです。
技術が現状より退行することはありませんから、自動車を取り巻く技術はこれからもそういう風に進化していくでしょう。だからこそ思い上がることなく自然をリスペクトし、人間性への回帰を意識することが大切なんです。
青戸:こうした技術の進化をデザイナーの視点で考えてみると、まさに現在のように技術革新が起きている過渡期は、大きなチャンスだといえます。ある程度、一定の技術が定着した領域では、デザインが本来の「デザイン」ではなく、単なる「スタイリング」になってしまいがちなんですよね。
でも技術が大きく進化すると、それに伴って新しいデザインが必要とされます。だから今、20〜30代の若手デザイナーであるみなさんの前には、とても大きなチャンスや可能性が広がっているということを覚えておいてほしいです。
青戸:生きてきた時代がまったく違いますから、私たちの世代と若い人たちとでは、価値観や考え方が違うこともたくさんあると思います。
若いみなさんの感性や現代ならではの価値観も大事にしながら、もっともっと大きな世界——例えば自分たちとは違う感覚、スケール感をもつ文化に触れたり、自然に目を向けたりして、これからの社会の中でクリエイティブな力を存分に発揮していただきたいですね。
取材を終えた後の雑談で、「最近は車に乗らない人も多いよね。私の孫も自動車免許を持っていなくてね」と、少し寂しそうに話していた青戸さん。
そんな青戸さんからの若手デザイナーに対するアドバイスはどれもあたたかく、ご自身の「カーデザインの仕事」に対する愛情の深さを感じるものばかりでした。
また今回語られた一つひとつのエピソードを線でつないでたどってみると、自動車業界およびカーデザインの世界そのものの変遷が浮かび上がってくるようでした。
製品に用いられる技術や機能が目まぐるしく発達し、「自動車」そのものが広く世の中に普及していった製品中心の時代。自動車を保有することがごく一般的になり、多様なユーザーの気持ちに応える形で、各メーカーが新たな機能開発・デザインにしのぎを削りあったユーザー中心の時代。
そして自動車という製品そのものに、さらなる技術革新の波がおとずれている現在。こうした一連の移り変わりをずっと最前線で体感し続けてきた結果、インタビュー中に何度も繰り返された「自然への回帰、リスペクトが何より大事」という境地に至ったことに思いを馳せると、青戸さんが発する言葉一つひとつに凄みが感じられるのではないでしょうか。
(了)
この連載を
カーデザインの未来を担う若者を支え
温かく応援しつづけた
故 木村 和夫さんに捧ぐ
青戸 務(あおと・つとむ)
1943年生まれ。多摩美術大学卒業後、本田技術研究所にデザイナーとして入社。1969年にGMヨーロッパ/オペル社のデザイン・アドバンス・スタジオに移りコンセプトカーや量産車のデザインを手掛ける。1977年に本田技術研究所2輪デザインに戻り、1986年からはヨーロッパホンダ4輪研究所のデザイン・マネージャーとなり、帰国後ホンダ・和光デザインセンター東京スタジオのデザイン・マネージャーに就任。その後ヒュンダイから招かれ、日本研究所の設立と商品計画、デザイン取締ディレクターを務める。2000年にはパリのシバックス・ヨーロッパスタジオのディレクターとなる。2009年から本拠を日本に移しアオト・デザインを設立。デザイン・コンサルタントとして活動すると共に、次世代のデザイナー育成に注力している。