AGC Studioの最後を飾る「8.2秒展」
東京・京橋にある「AGC Studio」は、建築用ガラスを中心に、街づくり・空間づくりに関わるAGCグループ (旧社名:旭硝子)の幅広い取り組みを紹介してきた。2017年のリニューアルオープン以降は、AGCの社外コラボレーションの場としても活用されるようになり、多彩な企画展やイベントを実施。さらに、AGCが5年連続で出展したミラノデザインウィークの帰国展の会場にもなり、TDではその様子をレポートしている(「素材メーカーが牽引するデザイン AGC・ミラノデザインウィーク作品から見えたもの」)。
そんなAGC Studioが、現在開催されている「8.2秒展」の終了をもって閉館することが発表された。東京都における緊急事態措置等による要請に基づき、同ギャラリーでの展示は定員制となったが、オンライン展示も公開され、より多くの人が作品を目にすることができるようになった。本稿ではAGC Studioの最後を飾る同展をレポートするとともに、AGCとデザインの関わりに迫ってみたい。
AGCとJAIDをつなぐ「協創」の取り組み
創立から100年以上にわたり、「ガラス」「電子」「化学品」「セラミックス」の領域で新たな創造に挑戦してきたガラスメーカーのAGCグループ。そんなAGCが、新しく建設した研究開発棟(横浜市・鶴見区)の完成を発表したのは2020年11月のことだった。
その際に注目を集めたのは、同研究棟内に設置された「AO(アオ/AGC OPEN SQUARE)」と呼ばれる協創推進スペースだ。ここでは、社内/社外をつなぐオープンイノベーションを加速させることが目指されており、AGC Studioの志を継ぐ「AO Studio」や「AO Gallery」などが内包されている。
そんなAGCの「つなぐ」取り組みを象徴するのが、2019年にスタートしたJAID(Japan Automotive Interior Designers)との協創プロジェクトだ。
JAIDは、国内を代表する自動車メーカー9社のインテリアデザイナー・CMFデザイナーによって結成された有志団体で、2019年には「1kgで何ができるか?」をテーマにした「1kg展」を開催し話題となった(「国内自動車メーカー9社のインテリアデザイナーによる競作!「1kgの価値」を追求した展覧会を開催」)。
そして、その続編となるのが「8.2秒展」である。この展覧会は、初めて対面した人やモノに対して、心が動く時間として知られる”8.2秒”をテーマとしたもの。JAIDからは6社(ダイハツ工業株式会社、株式会社本田技術研究所、いすゞ自動車株式会社、日産自動車株式会社、スズキ株式会社、トヨタ自動車株式会社)のデザイナーが参加している。
デザイナー(JAID)と素材メーカー(AGC)がタッグを組むことで生まれた「8.2秒の物語」はいかなるものだったのだろうか。その内容を詳しく見ていこう。
アクシデントが生んだ《Footbath》の魅力
まずは、こちらの動画をご覧いただきたい。
《Footbath:Colorless Color》は、トヨタとAGCのコラボレーション作品だ。主な素材は、スマートフォン用カバーガラスと水。至ってシンプルな組み合わせだが、展示室には初めて目にする光景が広がっている。
ずらりと並んでいるのは、AGCの化学強化カバーガラスの「Dragontrail®」。表面に親水加工(水を馴染ませる加工)を、裏面に撥水加工(水を弾く加工)を施すことで、ガラスの裏側に回り込もうとする水を表面に跳ね返し、均質な水の膜が形成されている。
水の供給源はガラスを支える柱だ。さらに、支柱を通ってスピーカーから振動が伝わり、上部からはストロボが当てられることで、水面に美しい波紋が広がっている。波紋の形はプログラミングでコントロールされているので、音楽と同期させたり、プロジェクションマッピングと連動させたりするなど、さまざまな展開も期待できるだろう。
コンセプトは、現代人にとって「最も身近なガラス」であるスマホのカバーガラスを用いて、誰も見たことのない光景を生み出すということ。
しかしそのアイディアは意図的に生み出されたものではなく、制作過程におけるアクシデントによって生まれたものだった。あるとき、デザイナーが撥水フィルムを注文した際に間違って親水フィルムが届いた。試しに親水加工を施してみたところ、現状の形に辿り着いたというのだ。
アクシデントをうまく取り込む機転が、最終的には予想を超えた作品を生み出したということだ。それを反映するかのように、水のしたたる音やビジュアルはどの瞬間を切り取っても繰り返しのない偶発性に満ちており、いつまでも眺めていたくなる作品となっていた。
自然とガラスの関係を問いかける2つの作品
続いて、ダイハツとのコラボによる《Glass Voyage:自然と共生するガラス》は、「人間と自然」という壮大なテーマを庭園風のミクロな風景に落とし込んだ作品だ。床に散乱しているガラスは「カレット」と呼ばれるリサイクル用のガラス原料で、その上に生えているのは本物の苔だという。
そもそも自動車用ガラスには、アンテナ線やフィルムなどが挟まれていることが多く、リサイクルするには難しいという事情がある。仕方なく廃棄されてしまうガラスを他用途に活用する取り組みも大切なのではないかという視点から《Glass Voyage》は生まれた。
また、制作の背景には、現在日本において”8.2秒”に1台のペースで自動車が廃棄されているという現実もあるという(この数字の符号は全くの偶然とのこと)。役割を終えたガラスに植物が繁茂する「借景」は、工業製品であるガラスが自然と調和・循環していく世界観を表現している。
もう一つ、「ガラスと自然」をテーマとした作品を紹介しよう。いすゞ自動車とのコラボ作品《ガラスの花:8.2秒 ガラスの変化に心惹かれる》である。
蕾から開花する花をモチーフにしたこの作品は、ガラスの表面にブラスト加工(コンプレッサーエアーで研磨材を吹き付ける加工のこと)を施すことで、ガラス表面に繊細なラインを描いたもの。展示台の上に置くと、ガラスの中に仕込まれたワイヤレスLEDが展示台の給電コイルと反応し、まるで花が咲くかのように光のシルエットが浮かび上がる仕掛けになっている。
見た目だけでも十分に美しいが、ハイライトは手に持ったときの挙動にある。作品を持ち上げると、給電コイルから離されることでLEDの光がゆっくりと消えてゆく。そこで元の位置に作品を戻すと、今度は作品にじんわりと光が灯り、ガラスの花が再び咲くという演出になっているのだ。
さらに、作品が置かれた台座はハーフミラーによる合わせ鏡の構造になっており、上から見下ろすと光の茎が伸びているように見える。繊細で工芸的な技巧に支えられながら、ハーフミラーの反射や光の透過率計算などの工業的な要素も輝いている、工芸と工業のいいところを融合させたような作品だった。
ガラスは透明? 不透明?
自然をテーマとした作品がある一方で、スズキとのコラボ作品《#イイね!2》は、テクノロジーの楽しさをストレートに表現した作品だった。一般的にフロントガラスは、雨風を防ぎ、ドライバーの安全を確保するものとして捉えられてきた。しかし車内から見たときには、フロントガラスは車窓の風景を映し出す「画面」としても機能している。
であるならば、その視覚体験をデザインすることもインテリアデザイナーの仕事なのではないか? そんな発想に支えられているのが《#イイね!2》だ。
鑑賞者は、フロントガラスのようにカーブしたガラスとクリップで構成された筐体を「イイね」ポーズで握り、ガラス越しに周囲を見渡す。するとその先には、夏空や花火大会のムービーなどが映し出され、コロナ禍で喪失した「あの夏」が蘇ってくるという物語になっている。
ガラスの表面に貼られた偏光フィルム越しにモニターを覗くことで、肉眼では見えない像が浮かび上がるという仕掛けだ。自動車のEV化や自動運転技術の発達によって、フロントガラスの役割が見直され始めている今、これまでは意識されていなかった「透明」なガラスの役割が「半透明」に浮かび上がってくることを示唆しているかのようだった。
こうしたガラスの性質(透明/半透明/不透明)に着目した作品も展示されていた。日産自動車とのコラボレーション作品の《CROSSING》だ。
この作品も《#イイね!2》と同様、「透明に徹する」ことが良しとされてきたガラスの性質に改めて焦点を当てている。しかしそのアプローチは大きく異なり、ガラスへの純粋な「感謝と愛」が表されているそうだ。一体どんな作品なのだろうか? 言葉の説明を読むよりもまずはこの動画をご覧いただきたい。
これはガラスの屈折率を調整するための液体で、溶液とガラスの屈折率を合わせることでガラス管が消え、上下する水と空気の粒だけが見えるようになっている(上昇しているのは空気の粒で、下降しているのは水の粒だ)。
この粒のサイズや上下するタイミングが絶妙で見事だが、担当者によればそのコントロールが難しく、AGCとデザイナーで最後まで協働して完成に至ったという。
ちなみにこの溶液は、本来はガラスの不良品判定のために用いられている液体とのこと。浴室の不透明なガラスのように、空気を目視しづらいガラスの中に気泡が入っていないかを確認するために用いられるものだそうだ。
ガラスが提供する8.2秒の癒し
会場の終盤ではほっと一息つかせてくれる2つの作品を見ることもできた。まずは、トヨタ自動車とのコラボ作品《Glass Camp:ガラスの焚き火》を見ていこう。
これは一般的に「冷たい」とされがちなガラスを使って焚き火をしようという「非常識」に挑む作品で、「分相ガラス」と呼ばれる特殊ガラスが用いられている。
このガラスに白い光を当てると、まるで内部から熱を発しているように赤や黄などの色味が浮かぶ。これは「レイリー散乱」と呼ばれる現象によるもので、空の色が青色や赤色に染まるのと同じ原理だ。要するに、ガラスの内部で成分が混ざり合うことで大気と同じ状態になっていると考えればよいだろう。
それだけでも驚きであるが、特にユニークに感じたのは、制作過程で本物の薪から型取りした木材のテクスチャーを再現したというこだわりだった。作品を見てみると、たしかに表面のテクスチャーが本物の薪のように見えてきて、思わず手を近づけたくなるような温かみを感じるから不思議だ。
さらにうちわで扇ぐと、ガラスの色味が”8.2秒”で変わるようにもプログラムされている。光の温かみを感じながら、8.2秒周期の癒しを感じる体験になった。
そして最後の作品は、ホンダとAGCによる《Mood Changer:空気清浄木》だ。この作品には、パンデミックによって一変した世界において、疲弊した私たちを覆う閉塞的な空気を変えてみたいという想いが込められているそうだ。
展示空間は、現代アートのインスタレーションのような通路型のブースとなっている。初期状態では不穏に赤味がかった光がプロジェクションされているが、ブース内に垂らされた1本の紐を引くと、一転して明るく美しい光と音で空間が満たされる。
ブースの中央上部に設置された、型吹き(かたぶき)ガラス製の回転照明をプロジェクターの光が透過することで、空間に不規則な光が投影されるというからくりだ。素材の持ち味を活かしながら、「空気感」という言語化の難しいテーマ設定を可視化しようとするデザイナーの強い意志を感じる作品だった。
アイデアと熱量を生み出す「協創」
以上が1階の作品展示で、2階ではプロジェクトの制作過程を紹介するプロセス展示が行われていた。「試行錯誤の部屋」と題されたコーナーでは、床面にJAIDデザイナーから提案された初期プランがずらりと並び、デザイナーの熱量を伝えている。
その奥の空間には、各作品のメイキングをまとめたコーナーも設置。技術的な解説も含めた制作過程を詳しく追うことができる。
プロセス展示を見ていて気になったのは、AGCとJAIDの「協創」がどのようにして成立したかということだ。
そもそもこの「協創」は、エクステリアデザインを形作る要素として身近な素材であったガラスをより深く知りたいというデザイナーの想いと、ガラスの可能性をより大きく広げたいという素材メーカーの想いが出会うことによって動き始めたプロジェクトだった。
デザイナーと研究員という異なる専門家のコラボレーションであることから、プロジェクトを進める過程でコミュニケーションの齟齬が生まれることも少なくなかったそうだ。
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開催期間:2021年3月23日(火)- 6月19日(土)※記事公開日現在、定員制
休館日: 日曜日・月曜日・祝祭日
入場料:無料
参加アーティスト:JAID(ダイハツ工業株式会社/株式会社本田技術研究所/いすゞ自動車株式会社/日産自動車株式会社/スズキ株式会社/トヨタ自動車株式会社)
会場:AGC Studio(東京都中央区京橋2-5-18 京橋創生館1・2階)
オンラインギャラリー:https://www.agcstudio.jp/jaid_online/index.html
展覧会サイト:https://www.agcstudio.jp/event/4479