釜山ビエンナーレ2022から考える「芸術祭のいま」(後編)多様なルーツが紡ぎ出すアート

Jan 27,2023report

#Busan

Jan27,2023

report

釜山ビエンナーレ2022から考える「芸術祭のいま」(後編) 多様なルーツが紡ぎ出すアート

文:
TD編集部 藤生 新

韓国・釜山では2年に1度、国際芸術祭「釜山ビエンナーレ」が開催される。釜山を訪れた編集部・藤生が、2022年9月から11月にかけて開催された「釜山ビエンナーレ2022」の内容をレポート。後編では、釜山の歴史に密着した3つの会場の様子をお届けする。

釜山港第1埠頭の様子 画像提供=釜山ビエンナーレ2022

前回の記事:釜山ビエンナーレ2022から考える「芸術祭のいま」(前編) 小さな歴史と大きな歴史が交錯するとき

東アジア最大級のハブ港湾でアートに触れる

戦後の経済発展により、東アジア最大級のハブ港湾となった釜山港。その中にある第1埠頭は、1912年に整備された韓国初の近代式埠頭だ。ここがビエンナーレのふたつ目の会場である。近代化の象徴としての顔をもつ一方、海の玄関口としても機能する。戦時中には多くの避難民を受け入れ、戦後には物流のハブとして機能してきた。その歴史性から、現在はユネスコ世界遺産への登録が目指されている。

前編で紹介した釜山現代美術館からはバスで40分ほど。車外に降り立つとすぐに潮の香りが漂い、海の存在感が否応なしに迫ってきた。こうした場所の特性を活かすように、第1埠頭には「海」や「港」を題材にした作品が多く集められていた。

釜山港第1埠頭の様子 筆者撮影

4,000㎡もの面積を誇る広大な倉庫に足を踏み入れると、オーストラリア出身のアーティスト、ミーガン・コープの巨大なインスタレーションが待ち構えている。

ミーガン・コープ《Kinyingarra Guwinyanba (Off Country)》(2022) 筆者撮影

1982年生まれのコープは、オーストラリア先住民のクアンダムオカ族をルーツにもつ。オーストラリア北東部クイーンズランド州の島々で暮らすクアンダムオカの人々は、西欧人と接触する以前、長年にわたり牡蠣を主食にして暮らしていた。彼らは生態系にダメージを与えない持続的な方法で牡蠣を養殖していたが、近代化以降は西欧から大規模な養殖技術がもたらされ、環境問題が起こるようになった。

コープが関心を寄せたのは、クアンダムオカの伝統的な牡蠣の養殖方法だ。新作の《Kinyingarra Guwinyanba (Off Country)》(2022年)では、2本のドキュメンタリー映像とともにクアンダムオカ族の牡蠣養殖場がインスタレーションとして再現されていた。

ミーガン・コープ《Kinyingarra Guwinyanba (Off Country)》(2022)
画像提供=釜山ビエンナーレ2022

2016年からコープは、クアンダムオカ族の貝塚をテーマにした制作を行っている。貝殻や獣骨などが発掘される貝塚は、土地の人々の生活文化を今に伝えるドキュメンテーションであるといえる。しかしクアンダムオカ族の貝塚は、近代以降に石灰石やモルタルを生産する過程でその多くが失われてしまった。日本人にとっての米のように、クアンダムオカの人々にとっての牡蠣は生活文化の象徴である。そこでコープは、インスタレーションという形で牡蠣の養殖場を再現することによって、クアンダムオカの人々の「自画像」を描いたのだ。

「船の墓場」が突き付ける静かな疑問

広大な空間を誇る第1埠頭に展示されていたのは、ほとんどが大型のインスタレーションだった。しかしその中にあって最も印象に残ったのは、シンプルなシングルチャンネルの映像作品である。

ヒラ・ナビ《All That Perishes at the Edge of Land》(2019) 筆者撮影

パキスタン出身のヒラ・ナビによる映像《All That Perishes at the Edge of Land》(2019年)に映し出されるのは、巨大なコンテナ船「オーシャン・マスター」の解体現場だ。この船は1995年に韓国で建造されたもので、パキスタンにある「船の墓場」、ガダニ造船所でいままさに解体されようとしている。

ガダニ造船所では「ビーチング」と呼ばれる方法で船が解体される。満潮時に船を海岸に乗り上げさせ、転売できる部品や資材を剥ぎ取りながら解体していく。長い一生を終えた生き物が腐ちていくようで、まさに「墓場」と呼ぶべき情景だ。巨大な船体の一部がスローモーションで水面に落下するシーンなどは、劇的でありながらどこか物悲しい。

ヒラ・ナビ《All That Perishes at the Edge of Land》(2019)
画像提供=釜山ビエンナーレ2022

それに加えて、ナビの映像では解体現場で働く人々の姿が捉えられている。危険な現場で働く人々の多くは移民労働者だ。私たちの暮らしがコンテナ船による大量輸送なしに成り立たないことは言うまでもない。そのコンテナ船の行き着く先を映した映像は、現状の問題点を静かに突き付けているように見えた。

地域コミュニティとアートの関係

ビエンナーレを巡っていて印象的だったのは、展示作品と展示会場がゆるやかに繋がって見えてきたことだった。船の最期を映した造船所の映像を見終えたあと、次なる目的地・影島(ヨンド)にある造船所跡地へと向かった。

影島(ヨンド)の造船所跡地の様子 画像提供=釜山ビエンナーレ2022

影島は、植民地時代の1912年に朝鮮半島初の近代式造船所がつくられた地区である。朝鮮戦争時には難民が家族と再会するために影島橋に張り紙をし、その情報を求めて人々が殺到したそうだ。戦後には造船業の発展から20万人以上の人々が暮らすようになったが、現在は産業の衰退によって人口が半減している。

展示会場は、衰退しつつある影島を象徴する造船所跡地だ。大型芸術祭らしく、第1埠頭よりもさらに巨大な空間が広がっている。この空間の半分は、1988年に韓国で生まれた作家イ・ミレの作品で占められていた。

その奥には、イーディス・アミチュアナイのライトボックス作品が見え隠れしている。サモア移民の子として1980年にニュージーランドで生まれたアミチュアナイは、ニュージーランドにおけるサモア系コミュニティを記録しているアーティストである。

イーディス・アミチュアナイ《La’u Pele Moana(My Darling Moana)》(2021)
画像提供=釜山ビエンナーレ2022

釜山ビエンナーレで彼女が提示するのは、「サイレン」と呼ばれるサモア系移民のユースカルチャーだ。その始まりは、オークランド(ニュージーランド)にあるトンガ高校に通う若者たちが、火災警報器のサイレンをBluetoothスピーカーで受信できるようにプログラミングしたことにあった。やがてこの文化はオークランド中に広まり、サイレン音の鳴るスピーカーを車やバイクに装着して爆音を鳴らせるコミュニティへと発展した。

イーディス・アミチュアナイ《La’u Pele Moana(My Darling Moana)》(2021)
画像提供=釜山ビエンナーレ2022

作品のタイトルは《La’u Pele Moana (My Darling Moana)》(2021年)。「Moana」は女性の名前であると同時に、サモアの言葉で「太平洋」を意味するそうだ。アミチュアナイの作品の多くは海にほど近い場所で撮影されている。これらのことからは、次のような解釈が生まれる。「Moana(女性名/太平洋)」と題された本作では、海を越えて伝わっていく音波という存在に、海を越えてニュージーランドに移り住んだサモア人の歩みが重ね合わされている。アミチュアナイが「サイレン」を記録することで表そうとしたのは、彼女自身を含むサモア人の姿なのではないだろうか。

Chim↑Pom from Smappa!Group《Drink It Yourself》(2022) 撮影筆者

造船所の跡地を出ると、目の前には広大な空き地が広がっていた。その中央に置かれた黒いコンテナは、日本のアーティスト・コレクティブ、Chim↑Pom from Smappa!Group(以下:Chim↑Pom)による作品《Drink It Yourself》(2022年)だ。

コンテナに入ると「DOBUROKGEOLLI(ドブロッコリ)」と書かれた電飾が煌々と輝いている。この作品では、韓国のマッコリと日本の獨酒(どぶろく)が掛け合わされた新しいお酒「ドブロッコリ」が提示されている。Chim↑Pomによると、マッコリも獨酒もともに自宅で醸造できるにごり酒という共通点があるそうだ。江戸時代までは家庭で自由に獨酒が醸造されていたが、明治期に酒造税が施行されたことにより、自由な醸造が禁止された。

Chim↑Pom from Smappa!Group《Drink It Yourself》(2022) 撮影筆者

同じくマッコリも植民地時代に醸造が禁止されたが、釜山では取り締まりを逃れるために、住民が鐘を鳴らし合うなどして情報共有するシステムが誕生した。それによって釜山名物の「金井山城マッコリ」が戦後まで生き延び、1979年に韓国の国民酒へと指定されるまでになった。

Chim↑Pomの作品では、マッコリと獨酒が融合することで、韓国酒とも日本酒とも呼べない第3のアルコールが作られていた。筆者もどす黒く濁った「ドブロッコリ」を飲ませてもらった。恐る恐る口にすると、その怪しげな見た目に反し意外にもまろやかで優しい味がした。しかしそのアルコール度数は高く、油断するとすぐに正気を失ってしまいそうな危うさも感じた。

「足元」を見つめ直すことでわかること

最後の会場は、1678年に「倭館」が設置されていた草梁(チョリャン)だ。10万坪もの敷地を有した倭館には、数百人の対馬藩関係者が常駐し、住居や神社なども整備されていたという。しかし現在ではその面影はほとんど残っておらず、傾斜のある土地に民家がびっしりと建ち並んでいる。

草梁の様子 画像提供=釜山ビエンナーレ2022

この光景が誕生したのは戦後のことだった。1910年時点の釜山の人口は7万人だったのに対し、1940年には93万人に増加。さらに戦争難民や戦後の労働者流入によって、1980年代には350万人にまで急増した。

居住に適さない山腹や丘陵にまで家が建ち並び、その間を縫うようにバイクや路線バスが往来している。GoogleMapにすら載っていない路地も多く、このエリアが都市計画とは無縁の発想でつくられたことがわかる。

草梁の様子 画像提供=釜山ビエンナーレ2022

ビエンナーレのフィナーレを飾るのは、そんな中にある一軒の民家だった。これまでの会場とは打って変わり、人がすれ違うのがやっとの細い路地を進んだ先にその建物はあった。ここに展示されているのは、わずか1名のアーティストの作品である。

画像提供=釜山ビエンナーレ2022

1985年に釜山で生まれたソン・ミン・ジョンは「移動」をテーマに作品を発表している。草梁に展示された映像インスタレーションの《Custom》(2022年)では、「春子」という名の架空の日本人女性が登場する。春子は1945年に神戸で生まれた設定の女性で、23歳のとき──つまり釜山が人口増加の真っ只中にあった時期──に、エンジニアの夫の赴任に付き添うかたちで釜山に引越してきた。慣れない異国での暮らしの中で救いになったのは、同い年の女性・チュンジャ(韓国語で「春子」を意味する)との出会いだった。

 ソン・ミン・ジョン《Custom》(2022) 画像提供=釜山ビエンナーレ2022

2人の物語はスマートフォンに映し出され、実在の風景に連なっていくように、生活の気配を色濃く残す空間に溶け込んでいた。会場には、かつてここで暮らしていた人の面影を感じさせる照明や壁紙がそのまま残されている。架空の人物「春子」が顔を覗かせてきそうな臨場感だ。

ソン・ミン・ジョン《Custom》(2022) 画像提供=釜山ビエンナーレ2022

映像、写真、絵画などから成る複合的な作品だったからだろうか、やはり場の印象が強く残った。民家はまるで迷路のように入り組んだ構造をしている。この不思議な形が生まれたのは、草梁独自の地形に沿って建物がつくられたからだろう。急勾配の斜面を歩いていると、目まぐるしい歴史や街の地形などという「大きな物語」に翻弄されながらも、ここで実際に暮らしていた人々の「小さな物語」も臨場感たっぷりに感じられた。

ソン・ミン・ジョン《Custom》(2022) 画像提供=釜山ビエンナーレ2022

思い返せば、釜山ビエンナーレ2022のテーマは「We, on the Rising Wave(私たちは、立ち上がる波の上で)」だった。この「立ち上がる波(Rising Wave)」という言葉は、釜山という土地の地形や、この街が辿ってきたダイナミックな歴史を表す比喩なのではないだろうか。

国際芸術祭の今日的なあり方を考える上で、さまざまなルーツの人々が多様性を維持しながら、固有の表現を展開しているさまに勇気づけられる想いがした。それでは、私自身の依って立つ足元についてはどうだろうか? 思わず足元を確かめたくなるような余韻を残しながら、芸術祭を巡るツアーは幕を閉じた。


作家情報
ミーガン・コープ:公式サイト
ヒラ・ナビ:Open Studios 2022ウェブサイト
イ・ミレ:公式サイト
イーディス・アミチュアナイ:公式サイト
Chim↑Pom from Smappa!Group:公式サイト
ソン・ミン・ジョン:TheArtroウェブサイト

 

この記事を読んだ方にオススメ