障がい児入所施設「まごころ学園」にみる居場所のデザイン:後編|子どもたちを取り巻くデザインvol.3

Jan 08,2021report

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Jan08,2021

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障がい児入所施設「まごころ学園」にみる居場所のデザイン:後編 |子どもたちを取り巻くデザインvol.3

文:
TD編集部 青柳 真紗美

「まごころ学園」の空間デザインについて、前後編で考察する。後編では設計を手がけた山下秀之氏に、学園長の金安良則氏とともに話を聞いた。完成までを振り返りながら、「居場所をデザインする」という問いに対して彼らが出した答えについて考える。

前回の記事:障がい児入所施設「まごころ学園」にみる居場所のデザイン(前編)

「幾何数学的操作」と「人の存在」

まごころ学園の設計にあたって、着想を得たものはありましたか。

山下:かたい単体建築ではなく、やわらかな集落のあり方です。念頭に置いていたのは近隣の出雲崎の妻入り町家の風景。海沿いに広がる漁師町で、4キロに渡り三角屋根の伝統的二階建て住宅が軒を連ねています。もともと地域にある群造形を下地にすることで、その場所のコンテクストに重なる建築を意識しました。

ある詩からも影響を得ています。

あは雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)
   またその中に あは雪ぞ降る

長岡にゆかりのある、良寛の詩(漢詩)です。

「三千大千世界」とは仏教用語。良寛は淡雪がふる春の空を見上げ、そこに世界を見出しました。その世界を見つめていると、その中にまた淡雪があらわれてくる。
雪降る世界の中に、もう一つの雪降る世界がある……非常に幻想的で抽象的です。まごころ学園に当てはめて考えると「ヒダ状の木質空間の中に、もう一つのヒダ状の木質空間がある」というかんじでしょうか。

私は「建築の中の建築」に大きな興味を持っています。
英語で「recursive」という言葉があります。「帰納的」とか「再帰的」と訳されますが、「のみこむ」という感覚が近いと思います。ロシアの民芸品マトリョーシカ人形のような、同じ形の入れ子です。
この空間概念を建築的にとても興味深く思っていて「カオス理論」や「複雑系」とともに重要視しています。これらに共通するのは、いずれも幾何数学的だということ。

幾何数学的な建築、ですか。

私が幾何数学的に建築を考えるようになったのは、大学時代の師である篠原一男先生の影響です。例えばまごころ学園の屋根は積み木を並べたようなデザインで、これは初等幾何学的です。また、四角い諸室を隣り合わせにしながら、一定の割合でずらし、雁行させていく。これは「図形配列」の操作にほかなりません。全体を正方形にまとめたことも、そうです。

上空から見たまごころ学園(撮影:佐武浩一)

でも、それだけでは建築は完成しない。図形操作に温度はありません。図形は零度の世界であり、そこに「熱」が必要です
その場を使ってくださる方の姿かたち、声、笑い声、泣き声。つまり「空間の中の人間模様」です。図面の上に、使う人の生き生きとした活動を重ねて見つめてみる。「生き生きと」を線に表すとこうなんです、と。説明してもなかなかわかってもらえないのですが。

使う人の活動を重ね、「生き生きと」を(図面上の)線に表す。そうすることで空間が立ち上がってくる。

山下:特に子ども向けの場づくりでは「空間造形」がポイントになります。知識やコンセプトがあるのに、空間造形に至らない設計者はたくさんいる。言うまでもなく、言葉を線にし、形にし、熱のある生きる空間にしていけるかどうかが最も重要です。

設計プレゼンで用いられたイメージ画。山下氏のディレクションのもと、教え子の相川勇樹氏により描かれた。
(資料提供:山下秀之)

子どもたちに必要なのは「居場所」

山下:私は日頃、長岡造形大学で学生たちとともに建築と向き合っています。「子ども」を「社会人になるまえの人間」と定義すると、学生たちにも、まごころ学園の子どもたちにも、同じように思っていることがあります。それは「自分が持っている素晴らしいものへの気づき」を大切にしてほしいということです。全ての子どもたちは原石を持っている。でもそれに気づかなかったり、磨かなかったり。他の場所で輝いているものに気を取られてしまったり。

子どもたちに対して建築の力で働きかけられることがあるとするなら、それは「居場所をつくること」。
居場所をつくることは、自分が持っている原石を磨き、成長させることにつながると思います。なぜなら創造性を育むためには、脳を解放する時間が絶対的に必要だからです。
じっとしている時、何をするでもなく考えている時に、脳のシナプスのネットワークが成長し繋がろうと枝葉を伸ばします。

以前、ある幼稚園の設計を手掛けたとき、自分の幼稚園児時代を思い出しました。建物のすみっこで、ただただ「砂つぶ」を見つめていたときのことを。砂つぶを見て純粋に「つぶつぶなんだぁ」と見入っていたんです。当時の私は、あそこに居場所を見出していたんでしょうね。

写真左から、まごころ学園の設計を手掛けた山下秀之氏、学園長の金安良則氏(筆者撮影)

金安:まごころ学園には様々な事情を抱えた子どもたちがやってきます。
年に数回しか親御さんと対面できないお子さんや、虐待によって入所してきたお子さんなど。彼らの心をほどいていくには、安心できる「居場所」がたくさんないといけない。小さなスペース、隙間。なんでもいい。周りの人を信じ、自分を信じられるまで、彼らが心を休めることができる空間が必要なんです。まずは音が聞こえない、周りが見えない空間。それから、邪魔されない空間。

彼らの中には「同一性保持」という、一回自分が「よし」としたことを崩されるのを嫌う傾向が強い子がいます。例えば先ほど、部屋の前の廊下でボールをたくさん転がしていた子がいましたね。私がボールを手に取ると、彼は怒った。彼にとって、そのボールはそこになければいけないものだったから。だけど私たち大人は、そうした場面で勝手に彼らの領域に入ってしまいがちなんです。「こんなに散らかして」と。
大人の目からは散らかしているように見えても、それをそのままにしておく。そうすることで子どもたちは安心していく。その繰り返しです。遊ぶ空間も散らかす空間も大事なんです。

居場所は自分で見つけるもの

居場所をデザインする上で重要なことは。

山下:居場所は「こちらから指定する」というものではないような気がします。そんな差し出がましい姿勢であるべきではないと。どんな場所に居場所を感じるかは人それぞれです。壁で囲まれた空間、木の根っこ、水の音が聞こえる場所……。全員が共通して「自分の居場所だ」と思える場所なんてない。これは金安さんが教えてくれたことです。
「北向きの部屋はあっていいんです」という言葉には救われました。太陽の光を嫌う子もいる。いろんな環境条件の部屋があって良い、と。「施設」と名のつくところでは、どちらかといえば均一にすること・条件を同じようにすることを設計者は心がけてしまうものです。

金安:私も施設を運営する中で、建築協議(での提案)も含めて均一になるようにやってきたんですが。それってちょっと違うんじゃない? という感覚はずっと心の中にありました。ただ、均一にしない代替的な方法がイメージできないまま無理難題を言ってはいけないとも思っていました。

山下:いろんな子がいて、好きなことはそれぞれ違う。明るい所と暗い所、暖かい所と涼しい所、高い所と低い所、広い所と狭い所。太陽の当たり方、風の入り方、いろんな好みがあってしかるべきで、その数が多ければ多いほどいい、と。

金安:そう。居場所って、大人が与えるものじゃなくて、子どもたちが選んでいくものだと思うんですよ。だからいろんなスペースが必要だった。ギザギザ、でこぼこ、ヒダヒダ。たくさんつくってほしかったんです。

山下:設計者としては、つい「みんなが同じように使えるもの」を良しとしがちです。いわゆる「ユニバーサルスペース」のような。でも金安さんの考えはそうではなかった。どちらかというとカオス理論的に、ごちゃまぜの様相をつくる。そこに招き入れられた子どもたちが、自分で好きな空間を探す。
まごころ学園は全面木質にしましたが、もしかしたらコンクリート、鉄、ガラス、木、ブロック、緑、高木とか、たくさん集まっている環境にこの子たちが入ったら、もっと違う姿かたちが見えたかもしれません。

たくさんの失敗と共感ができる場所

ある程度、設計が進んだ段階で相当ディスカッションを重ねたと伺いました。

金安:先生が提示してくださったものを尊重せねばという気持ちはありつつ、アイデアが止まらなくなってしまって。

山下:クライアントといえども、行政の方からは絶対に出てこないような要望が次々に寄せられました(笑)。

金安:私はとにかく、子どもが好む場所をたくさん作りたかった。高いところ、ジャンプできる場所、隠れることができる空間……。親御さんたちが禁止事項にするようなことを、子どもたちはやりたがります。そういうスペースや空間を散りばめることが子どもの育みにはすごく大切だと考えていました。

山下:こうした主張をされる行政の方は、他にいないと思うんです。たいていはリスクを考えて、部屋の使い方や遊び方を制限する方向に進みます。

金安:リスクマネジメントの観点では非常に難しい問題ではあると思います。大人の感覚だと「危険がないように」と削ぎ落としていく方向に向かってしまう。
でも、私は、子どもたちが「どこまで危険と相対して、危険と付き合えるようにするか」を考えていくのが大人の役割だと考えています。例えばスヌーズレンの周りのでこぼこベンチなんかもそうですね。

山下:あれは、クライアントからの要望がなければ100%デザインしないものです。角も多いし、事故が起きたら……など、怖くて設計するまでには至らない。

まごころ学園の象徴ともいえるスヌーズレン。山下氏と教え子の佐藤圭真氏により設計された。
(撮影:山下秀之)

金安:それをあえてお願いしました。子どもたちの目標は、ここを出て自立して生活すること。外にはもっと危険があふれています。ここを危険が全くない場所にしたり、行動範囲を狭めたりしたら、ずっと施設から出られなくなってしまう。

山下:なんでもかんでも危機回避の方向でまとめてしまえば、結果的にその子たちの生きる力を弱くしてしまいますね。

金安:明らかな危険は取り除く必要がありますが、子どもたちにはできるだけたくさんの失敗を知ってこの施設から巣立っていってほしい。これくらい失敗したら嫌な思いをする、痛い思いをする。そんな経験を通じて様々な関係性を学んでほしいと思います。
大人がお膳立てして大人の感覚でルールを決めるのは……、それはやっぱりエゴだろう、と。子どもたちが何か活動を始めたら、それを無理に制限しないで、とりあえず見守る。危険がないかぎり始めた活動を広げてあげることが大切だと思います。

制限せず、見守るという考え方が徹底していると感じました。子どもたちの部屋なども個性的でしたね。

山下:それぞれの部屋の壁には絵や写真がたくさん貼られ、ぬいぐるみもたくさん置かれています。あれが許されることがここの素晴らしいところ。もちろん全然置きたくない人もいる、それは自由にどうぞ、と。

金安:それを可能にしている一番の貢献者は職員たちですけれど。石膏の下地が出るまで壁を噛んでいても、塗りたての真っ白な壁にウンチをこすりつけても……「アートだと思ってください」と言われるくらいです。

 スヌーズレンの完成までにも、さまざまな議論があったようですね。

山下:金安さんから「スヌーズレンをつくりたい」と要望を受けたので調べてみると、ミラーボールやお香など、五感に訴えかけるものを使った暗室が国内外での事例として挙げられていました。最初はそういう部屋が必要なのかなと思ったんですが、本家のオランダのサイトに記載されていた「理念」を新たに解釈してみました。

金安:機械や器具を買わなくてよかったとさえ思っています。スヌーズレンの理念で一番大事なことは、五感を通じて感じたり表現したりすることが難しい障がい児に対し「大人が共感する機会」を提供すること。
言い換えれば、誰かと一緒にいて「いい匂いだよね」「気持ちいいね」と共感することが一番の肝なんですよ。そこから、言葉と感覚がつながっていく瞬間が始まるんです。「これはいい匂い、と表現するんだ」「これが気持ちいいってことなんだ」と。自分の感覚と大人の言葉が合致するときがきて、大人と通じ合って安心する。そのように捉えるものだと思っています。
暗室にしなかったことで内部のスペースの自由度は増し、絵本の読み聞かせやブロック遊びなども行われています。それら全ての活動を通じて、彼らはたくさんの共感を得られています。

スヌーズレンで子どもたちと遊ぶ金安氏と山下氏(筆者撮影)

「コト」を生み出す回答の一つが円環構成だった

運営する皆さんの努力と建築によって生まれた空気が、この温かい雰囲気を生み出しているんですね。

金安:そもそも「施設」という言葉さえ、違う言葉に置き換えられないものかと思っているくらいですから。

山下:施設じゃなくて「場づくり」ですね。建築は「もの」をつくるものですが、同時に「コト」も生み出していく必要がある。その回答の一つが「ぐるぐる」、つまり円環構成でした。
円環構成といえば建築家の手塚貴晴さんと手塚由比さんが手がけた「ふじようちえん」(東京・立川市)が有名です。子どもたちの施設においてこのぐるぐるは重要な意味を持ちます。ここの屋上は楕円のドーナツ型になっているんですが、あるとき園児たちの移動距離を測ってみたところ、1日に4キロ走っていたそうです。この屋上を延々と。これは円環構成じゃないとありえない。

金安:まごころ学園の子どもたちも、スヌーズレンを中心としたいくつもの円環構成の中で常に自由に動き回り、活動からたくさんの「コト」が生まれています。

山下:円環構成は心にも働きかけると思います。少々概念的な話になりますが、円環構成が上に広がっていくと「スパイラル」になる。
一周回って次の到達点にくる。私は、これは「年を重ねて戻ってくること」と考えています。
一周回ってきた君と、今ここにいる君と、一年後にまたここにきた君は違う。考えていることも受け止めることも違うよね、ということです。一年後にまた一周してごらんよ、違う風景が見えるかもしれない。
例えば街あるきもそうだと思います。街自体は変わらなくても、自分が成長を重ねる中で違うものが見えてくる。

大切なのは、一年後に、どうしてぼくはここが良いと思ったんだろう、という振り返りができること。違うものが好きになっているかもしれないけれど、それは一回転して上に移動したということ。そのときに、また自分の好きな場所を選べること。それは自分が選ぶこと。自分が振り返ることができる、そんな場所が子どもたちにとって必要だろうと考えました。言い換えれば「人を回転させる魅力」が、この建築の力になったんでしょうね。

 ありがとうございました。

取材後記

ここで暮らすのは、知的障がいを持っていたり、虐待や育児放棄などにあっていたり、配慮が必要な子どもたちだ。通常、こうした空間での配慮といえば「制限」や「訓練」を指すことが多い。よって、運営側にとっては、どこまでも目が届く「見通し」が重要だった。
だが金安氏と山下氏は、全く真逆のアプローチをした。
禁止ではなく解放。指示ではなく自発。そして、安らぎを覚える自分の居場所。これらを土台として穏やかな情緒が育まれ「自己」が芽生えていく。そんな環境を可能にしたのが、まごころ学園の建築なのである。

自身も教育者である山下氏と、30年以上障がい者福祉の現場で子どもたちを見つめ続けてきた金安氏。全く違うキャリアを歩みながらも「子ども」に対する向き合い方は非常に似たものだと感じた。
そもそも、子ども・大人、健常者・障がい者、という区分さえ必要ないのかもしれない。
「人間」、もっといえば「生物」にとって、心も体も生きやすい環境。シンプルにその課題に向き合ったとき「子どもにとって最適な環境」が見えてくるのかもしれない。そんな気づきを得た一日だった。

 
筆者註:「障害」の表記を本稿では「障がい」に統一した。人を表す表現に「害」という言葉を使うべきではない、反対に旧来の漢字表記を尊重すべきである、など、現在も様々な議論がある。 どちらが正しいかを意見するつもりはなく、本稿においては当事者の方々に寄り添いたいという筆者の意向としてひらがなでの表記を選択した。
 
 

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