「アートとデザインの中間」
第754回デザインギャラリー1953企画展として、2019年4月17日(水)〜5月13日(月)まで開催されていた「自生するデザイン by TAKT PROJECT/we+/YOY」。
会場となった松屋銀座・デザインギャラリー1953は、日本デザインコミッティーによって1964年に開設されたデザインギャラリー。企画・運営は、日本における「デザインの啓蒙」を旗印に結成された同コミッティーのメンバーが担っている。
この企画展は、海外を中心に活躍する3組の若手デザイナーたちの仕事を紹介するものだ。ともにミラノサローネの常連として独自のデザインスタイルを提示してきた彼らは、問題解決型のデザインから距離を置き、受託を前提とせず自主的に作品を発表してきた。開催の経緯もそれと関連しており、日本デザインコミッティーの永井一史からの依頼のもと、同時期にミラノで作品を発表していた同世代の3組が集まったかたちになる。
また、展覧会チームは今回の企画展にあわせてカタログ冊子を制作。冊子を通じて、今年4月のミラノサローネの様子なども振り返りながら、筆者が感じた新たなデザインの可能性について考えてみたい。
そこには、主体的に自らのアイデアを形にする「アーティスト」としての顔と、それを第三者に適切な方法で伝える「デザイナー」としての顔の2つが同居しているのだろうか、彼らは自らの活動が「アートとデザインの中間」にあるものとして位置づけている。
そうした発想のもと制作された《Heap》は、「雪」という自然現象を参照してつくられた。
ひとつひとつの雪の結晶は儚く脆いが、幾重にも折り重なることで驚くべき強度を帯びる。そうした自然の現象に着目したwe+は、シンプルな3本のラインで構成されたモジュールを幾重にも積み重ねることによって、雪と同様、驚くべき強度を持った「椅子」をつくりあげた。
《Heap》が面白いのは、その最小限のフレームが3本のラインにあるため、その折り重なり方次第で、限りなく無限に近いバリエーションのサイズ・形状をつくることができる点にある。
つまり、初見の「固く・冷たく・トゲトゲしい」という印象はあくまでも仮初めのものに過ぎず、そこから遠く離れて、ひとりひとりのユーザーの多様性に最適化した形のプロダクトをつくることも可能になるかもしれない。
作品を見つめていると、新たな問いが次々に浮かんでくる。
シンプル且つ小型のラインで構成されている点は、生産・流通の簡便化へもつながりうるだろうか。さらにこの考え方を「椅子」という枠組みから解き放ったらどうなるだろう?──などと、プロダクトを見る側の想像力を飛躍させていくこともまた、彼らの仕事の重要な特徴であるといえるだろう。
「存在しない棚」
こうした軽やかさをさらに推し進めた仕事を展開しているのが、2011年に小野直紀と山本侑樹によって設立されたデザインスタジオ「YOY(ヨイ)」だ。
このように、現代アートと近い発想でつくられていることもまた、彼らの「デザイン」の重要な特徴であるのかもしれない。
しかし、なぜ彼らはそのような発想を持つに至ったのか? それを知る上で、彼らが「空間とモノの間」をテーマに掲げているということはひとつのヒントになるかもしれない。
たとえば、壁や天井の端っこのように「モノが存在しない空間」に何があると面白いかを考えることが彼らの発想の根底にあるという。
それを象徴する作品が《PEEL》である。これは、壁の端がめくれて光が漏れているかのように見える照明で、有機ELを用いて限界まで薄く光源がつくられることによって、あたかも壁の奥に空間が広がっているかのように感じさせる。
プロダクトとしての光源を考えるとき、通常は「空間を照らす」という効果が第一に思い浮かぶだろう。しかしそれに加えて、窓の外から差し込む光(たとえば太陽光)が「解放感」を覚えさせることを想い出すならば、室内における光源の機能をさらに拡げて考えることができるかもしれない。
このように、YOYのつくるプロダクトは、人間の物語的な想像力と結びつくことによって、すでに固定化したモノの機能性の中にさらなる「外部」を発見することができうるという点にその特徴を有している。
デザイナーの立ち位置から新しい価値を生み出す「デザインの基礎研究」
そうした「発見」の手つきは、まるでミクロコスモスの中にマクロコスモスを見出すかのような感性を思い出させる。ミクロとマクロが連絡するダイナミクス。それを体現する作品を手がけているのが「TAKT PROJECT(タクト・プロジェクト)」だ。
TAKT PROJECTは、2013年に吉泉聡を代表に設立されたデザインスタジオ。クライアントワークと並行して、新しいものの見方を探究するべく、デザイナーの立ち位置から新しい価値を生み出そうとする「デザインの基礎研究」に取り組んできた。
彼らが「基礎研究」と呼ぶ取り組みそのものが、今回の「自生するデザイン」の根底に流れる意識である。これは3組全てに共通するが、この企画の大きな意義の一つは、プロのデザイナーたちが本気で向き合ってきた基礎研究を作品として昇華し、かつ「デザインに馴染みのない人々」にも届けたことだといえよう。
今回出品された《glow ⇄ grow》は、氷柱のように垂れ下がった樹脂が幾重にも連なったプロセスを提示している作品だ。
さらに驚くべきは、その樹脂が光を浴びることで「成長」していることである。ゆえに全く同じ形のものはただひとつとして存在せず、また、いつ見るかによってもその形は異なってくる。まさしく「自然」そのものを再現したと言えるデザインだろう。
代表の吉泉は、自らの実践の肝が「つくり方をつくること」にあると述べている。ここでいう「つくり方」とは、彼らが「基礎研究」と呼ぶものと同じものである。つまり、私たちが「デザインとはこうあるもの」と言うときに無意識のうちに想像している枠組み自体を根本から見直し、丁寧に定義し直すことが彼らの活動にとって重要なものなのだ。
それは具体的・個別的な「誰か」に対するソリューションではないかもしれないが、抽象的・複数的な「誰か」に対するソリューションにはなりうるかもしれない。
吉泉は、そのための試行錯誤を「大きなミッション」であり「真っ当なデザイン」であると語っていた。私たちにとって「デザイン」とは何なのか。この問いに向き合う中でいつかきっと思い出すであろう、印象に残る言葉だった。
自生するデザインが拓くデザインの可能性
彼らの活動を見つめていくと、共通して、次のような点が一貫していることがわかった。
・デザイナー/観客の双方が自由な想像力を持ちうること
・プロダクトの分野で「デザイン」を大きく捉え直そうとしていること
・目の前の「誰か」ではなく、より大きな「誰か」へ向けて発信していること
それはまさしく「自生するデザイン」という展示タイトルが示す通り、たとえクライアントがおらずとも、社会の中で「自生」するように、デザインの可能性を拓こうとする実践なのではないだろうか。
また、さまざまな社会的事象の基礎に眠る課題と可能性へ向けてデザインを切り拓いていく「基礎研究」は、豊富なアイデアを出しうる若手の感性とマッチしているようにも思われた。 今後も彼らの活動と新しい「デザイン」の萌芽に着目していきたい。