「デザイン思考」が加速させたクリエイティブ人材育成の必要性
近年、「デザイン思考」という言葉が企業経営や行政の現場で頻繁に使われている。その背景にあるのは、「ビジネスを進める上での視点や考え方を変える必要がある」という危機感だ。従来型のマーケティングやユーザー視点の追従だけでは、製品やサービスはいずれ横並びになり、企業活動や公的事業は遠からず行き詰まってしまう、という危惧である。
「デザイン思考」の考え方は、アメリカの経済学者であるハーバード・サイモンの著書『システムの科学』(1969年)に端を発するといわれている。同書の発刊から半世紀が経った今、それは「デザイナー的視点による思考方法やプロセスを活用し、ビジネスにおける前例のない課題や問題に対し、もっともふさわしい解決を図る」ことを意味している。
企業や行政は、従来とは根本的に異なる発想を生み出すクリエイティブな人材を求めるようになった。このような流れを受け、ここ数年、総合大学や理工系大学にデザイン領域を扱う専攻やコースが急増している。たとえば京都大学のデザインイノベーションコンソーシアムや千葉工業大学の創造工学部デザイン科学科などは教育界・経済界からの注目度も高く、多くの入学志望者を集めている。
こうした現状に対し、課題も囁かれる。新興領域の学科は多くの場合、欧米の模倣・追従や問題解決にのみ注力している場合が多いというのがその一つだ。もちろん、そうした課題があったとしてもなお新しい取り組みであることは間違いない。しかし、流行としての「デザイン思考」を、いち早く実践させることが優先されている風潮は否定できないと感じる。
課題解決だけでなく「課題自体を発見する」人材の育成
2019年4月、武蔵野美術大学(以下ムサビ)に開設された新学部・学科である造形構想学部クリエイティブイノベーション学科は、このような風潮に真っ向から挑む、本質的なアプローチを目標に掲げているという。
同学科では極めて実践的なプロトタイピングによる体験を繰り返すことで、組織のトップと同じ目線で物事を考え、企業や事業のあるべき姿を提示することを目指すという。これは単なる「課題解決の上手い学生」の育成を行うということではない。自ら課題自体を発見する力を持った、ビジョンデザインとその活用ができる人材を育成するというものだ。
即ち、これまで美術・デザインの総合大学として育んできた独自の「創造的思考力」をベースにしつつも、手段としての「デザイン思考」に止まらない、まったく新しい価値の創出に取り組むという姿勢を見せている。
この新学科創設にあたって話題になったのが、志望者は学力試験のみで入学できるということだ。ムサビでは、これまで全ての学科の入学選考時に「専門試験科目」としてデッサンやデザインなどのいわゆる実技試験が義務付けられていた(※)。新学科の受験にあたっては、これらの実技試験がない。これは同学科が芸術・表現系はもとより、従来の文系・理系という発想にすら当てはまらないという発想から来ているものだ。こうしたことから「新学科は美大ではない」と語る教授陣もいるという。
造形構想学部クリエイティブイノベーション学科に入学した学生は、1・2年次に小平市のメインキャンパスで造形・教養教育と現代社会・産業知識を学んだ後、3・4年次には新しい市ヶ谷キャンパスで提携企業や自治体などとのリアルなプロジェクトを実践する。
2019年7月18日にオープンした「MUJIcom 武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス」は、こうしたプロジェクトのリサーチやプロトタイプ、評価・検証、社会実装を循環する実験の場とされている。開設してから約半年が経とうとしている今、「中の人」はどのように見ているのだろうか。若杉浩一教授を訪れ、話を聞いてきた。
※写真提供:株式会社良品計画
※写真提供:武蔵野美術大学