デザインの力が提起する「私たち」をめぐる問い国立科学博物館の「巡回展キット」

Nov 18,2022report

#kahaku

Nov18,2022

report

デザインの力が提起する「私たち」をめぐる問い 国立科学博物館の「巡回展キット」

文:
TD編集部 藤生 新

このたび国立科学博物館と三澤デザイン研究室がタッグを組み、標本資料を各地に貸し出すことができる「巡回展キット」を発表した。「新たな鑑賞者との出会い」を想定してつくられたこのキットを実現したのは、編集とデザインの力だった──。「巡回展キット」から見えてきた資料展示の「いま」をお届けしたい。

TOP写真:ⒸGottingham

標本資料を全国に貸し出す「巡回展キット」プロジェクト

およそ495万点の標本資料を有する国立科学博物館(以下、科博)。上野にある本館では約25,000点の資料が常設展示されているため、実にその99%が普段は人知れず収蔵庫に眠っていることになる。そこで、こうした標本資料を有効活用するべく、全国のさまざまな施設へ標本資料を貸し出す「巡回展キット」のプロジェクトが発表された。

この画期的なキットの名前は「WHO ARE WE 観察と発見の生物学」。展示するための什器(11のキャビネット)と46の引き出しからなり、世界屈指の動物標本資料「ヨシモトコレクション」を中心とした標本が収められている。

キャビネットの引き出しを開ける様子 Ⓒ岡庭璃子

TDでは2019年に、コロナ禍の科博によるオンラインコンテンツの取り組みを紹介した(「オンラインコンテンツが鑑賞体験にもたらしたものとは」)。その試みのベースにあったのが「科博イノベーションプラン」(2019年7月)と呼ばれる新方針だった。

オンラインコンテンツと巡回展キットの意外な関係

同プランでは、標本資源の活用に向けたいくつかの提案がなされていた。そのうちのひとつが、収蔵庫にある標本をデジタル化して活用するプランだ。
コロナ禍前に打ち出された内容ではあったが、その直後にパンデミックが到来したことにより、科博は世界的にもいち早くオンラインコンテンツ(VRコンテンツや3Dモデルなど)を発信した博物館の一つとして注目を集めた。その経緯については、先述の記事で詳しく述べているので興味のある方はぜひ参照してほしい。

そして、科博イノベーションプランでもうひとつ示されていたのが「巡回展スキームの開発」だ。これが本記事で紹介する「巡回展キット」として発展した。

巡回展キットのイメージ

巡回展キットに収められたヨシモトコレクションは、科博のVRミュージアム「THE WILDLIFE MUSEUM~ヨシモトコレクションVR~」でも活用されていた。つまり、同一のコレクションがオンライン(デジタル)とオフライン(フィジカル)の双方で展開されていることになるのだ。

その意味で「巡回展キット」は、VRコンテンツや3Dモデルなどの「オンラインコンテンツ」と補完し合う試みであるといえるだろう。科博の新方針を具現化するオフライン・プロジェクトとしての巡回展キット──その第一弾は、2021年7月から9月にかけて、大分県立美術館(OPAM)で開催された「WHO ARE WE 観察と発見の生物学 国立科学博物館収蔵庫コレクション | Vol.01 哺乳類」展として公開された。

「WHO ARE WE 観察と発見の生物学」展ポスター Ⓒ大分県立美術館

この展覧会には1万人以上の来場者が訪れ、大成功を収めた。この成功に続いて巡回展キットの取り組みを都市圏でも紹介すべく、2022年8月から10月にかけて東京・上野にある科博でも「巡回展」が開催されることになった。

巡回展キットの構成

このキットの最大の特徴は、通常の巡回展で貸し出しされる標本資料に加えて、キャビネットがその一部に組み込まれていることにある。

科博がコレクションを貸し出す場合、これまでは主に各地の科学系博物館がその対象となってきた。なぜなら、科博のコレクションを展示するためには一定の展示施設や専門家の知見などが必要になるからだ。

「WHO ARE WE 観察と発見の生物学」展 会場風景 ⒸGottingham

しかしこのキットを使えば、展示施設や科学的知見がなくとも、科博の貴重なコレクションを展示できる。大分県立美術館のような美術館や文化施設、商業施設などでも科博の巡回展が開催できるようになるのだ。

その最大の特徴は、「標本本体」に加えて「標本の見せ方」が内包されていることにあるだろう。普段あまり博物館に足を運ばない層に標本資料の魅力をどのように伝えたらよいのか? この課題を解決したのは、編集とデザインの力だった。

「見る喜び」と「知る喜び」の創出

巡回展キットのプロジェクトには、企画編集・デザインとして、デザイナーの三澤遥氏が率いる日本デザインセンター三澤デザイン研究室(以下、三澤研)が参加している。三澤研のデザインした展示什器を、筆者は上野の科博で実際に目にすることができた。

まずキャビネットの前に立って驚かされたのは、通常の展示では最初に目にすることになるキャプションではなく、ある「視点」を伝える短いメッセージを目にしたことだった。

たとえば、あるキャビネットには「毛?」とだけ書かれたメッセージがある。何だろうと思いながら引き出しを開けてみると、突如として巨大なサイの角が出現した。まじまじ眺めていると、引き出しの片隅に次のような説明があることに気が付いた。

石?岩?石器?
実は皮膚が角質化した、ずっしりとした毛の塊。

なんと、サイの角は毛の塊だというのだ──。驚いて再び標本に目をやると、たしかにずっしりした角が巨大な毛の塊のように見えなくもない。まるで自分が小さな昆虫になったような気分になる。

サイの角の入った引き出し Ⓒ岡庭璃子

このように、最初に無垢な目で標本を見たあとに、その性質を知ることによって「見る喜び」と「知る喜び」を同時に味わうことができた。三澤研が編集とデザインの力で実現したのはこうした鑑賞体験だったのである。

巡回展キットの展示テーマは「観察の眼、発見の芽」。46個の引き出しにはすべて短いメッセージタグが付いている。このタグが取っ手の位置を伝えるサインとしても機能しており、ひとたびその仕組みがわかると、鑑賞者は会場に散りばめられたキャビネットの引き出しを自発的に開けてまわるようになる。

ワクワクしながら引き出しを開けると、そこには思いもよらぬ標本と、それを見る「視点」が現れる。「自分で引き出しを開ける」というアクションも「引き出しを開けるまで中身はわからない」という構造も、鑑賞体験をより感度の高いものにする演出となっていた。

形への興味を呼び起こす視点

ほかにも驚くような「形」と「視点」がいくつも示されていたので、その様子を紹介したい。

ⒸGottingham

たとえば「卵を産む」というタグの付いた引き出しの中には、大小いくつもの卵が並んでいた。それ自体は博物館展示では珍しい光景でないが、ひとつだけ別置きされている小さな卵が目に付いた。卵の下には小さく「カモノハシ」と書かれている。さらにその下には、次の説明が付されていた。

最も原始的といわれる哺乳類のひとつ、カモノハシ。
爬虫類のように卵を産むが、孵化した子どもは乳で育てる。
だから哺乳類に分類されたという不思議。

──本当に「不思議」である。キャビネットの上にはカモノハシの剥製があり、そう言われて眺めてみると、鳥のようなクチバシと魚のような水かきをもつカモノハシは、哺乳類なのか何なのか考えてしまう……。

「ずば抜ける」の引き出し Ⓒ岡庭璃子

「ずば抜ける」と書かれた引き出しも開けてみた。すると中にはたくさんの数字が書かれたカードが敷き詰められている。それはたとえば次のような内容だった。

10分 ジュゴンの1回の睡眠時間
10m アカカンガルーが水平に跳ぶ距離
14時間/日 ジャイアントパンダの食事時間
90kg/日 アジアゾウの食事量
150km インドオオコウモリの飛翔距離
500kg ゴリラの推定握力
211年 シロナガスクジラの最長年齢
800,000,000本 ラッコの体毛

シンプルながら哺乳類の幅広さと不思議さが伝わってくる情報だ。小さな数字から大きな数字へカードが並ぶだけのレイアウトであるが、隣り合うカードの内容は予測できないため、次に表れる情報が何なのかとドキドキしながら文字を追う体験になっていた。

「私たちは誰なのか」という問いかけから始まること

「知る」に特化した引き出しがある一方で、「見る」に特化した引き出しもあった。「からだのなかの彫刻」というキャビネットには、合計で7つの引き出しが仕込まれている。

「カピバラの歯」「リスの肩甲骨」「サル(アビシニアコロブス)の全身骨格」など、いくつも気になる引き出しがある中で、「イルカの椎骨」の近未来的で美しい造形には思わず息を呑んでしまった。

イルカの椎骨の入った引き出し Ⓒ岡庭璃子

「イッカクの歯」の引き出しには、ぎょっとするほど細長い歯が収納されている。イッカクの歯が長いことは知識としては知っているつもりだったが、現物を目の当たりにすると「なぜこんなに長いの?」「これが用いられる状況とは?」といった疑問が次々と湧き上がる。改めて「知りたい」という欲求が喚起される。

ⒸGottingham

このように興味深いキャビネット/引き出しはまだまだあったが──最初に述べたように、引き出しは全部で46もあった──最後に「私たちは誰なのか」というキャビネットを紹介することでレポートを締めくくりたい。

このキャビネットの中でひときわ気になったのは「WHO ARE WE」とタグ付けられた引き出しだ。開けてみると、そこには標本はなく、次のようなメッセージが記されていた。

無口な剥製たちは、実はとてもおしゃべりです。
何も語っていないように見えるのは、その声を聞き取るための方法に私たちが気づいていないから。
[…]
「WHO ARE WE」は、哺乳類と地球の未知と未来に対して、ときには科学の力を凌ぐことがある想像力を来場者の方々に思う存分に膨らませてもらうための展覧会です。
でも、ここにあるのは世界のほんの一部分。
正解があるわけでもありません。みなさんも感じたのではないでしょうか。
知れば知るほど、謎が増え、問いが生まれてくることを。
地球からも、目の前の出来事からも、自分自身からも。

私たちは誰なのか。

「WHO ARE WE 観察と発見の生物学」展 会場風景 Ⓒ岡庭璃子

ここに記されているように、巡回展キットの取り組みは、鑑賞者の想像力や興味を存分に引き出すものだった。ただ物理的に標本を貸し出すだけでなく、それをどのように編集・デザインして人々に届けるのか──。それが「キット」というかたちでパッケージされている、ひときわユニークな試みだった。

また引き出しを開けるときに感じたワクワク感は、子どものころに誰しも経験する昆虫採集や探検ごっこなど、未知の世界を手探りする感覚に通じるものだ。こうした感覚は大人になるにつれて失われていくものだが、この感覚に大人が真面目に向き合ったひとつの結果であるように思われるのが、15〜18世紀のヨーロッパで流行した「ヴンダーカンマー(驚異の部屋)」だ。

アンドレア・レンプス《珍品のキャビネット》1690年(『DailyArt Magazine』ウェブサイトより)

ヴンダーカンマーとは、大航海時代の始まりに伴い、世界各地からヨーロッパに流入するようになった「珍品」を展示する部屋/キャビネットのこと。「巡回展キット」のデザインセンスや造形感覚は、どこかこのヴンダーカンマーにも通じているように感じられた。

展覧会タイトルに示されているように「WHO ARE WE」の試みは「Vol.01」とされている。次回はまだアナウンスされていないが、次の巡回先とは?哺乳類の次は何類がどのように展示されるのか?など、気になることばかりだ。これからの「WHO ARE WE」の問い掛けを楽しみに待ちわびたい。


WHO ARE WE 観察と発見の生物学
国立科学博物館収蔵庫コレクション|Vol.01 哺乳類

主催:独立行政法人国立科学博物館
学術監修:川田伸一郎(国立科学博物館 動物研究部 研究主幹/農学博士)
企画・編集:日本デザインセンター 三澤デザイン研究室
アートディレクション:三澤 遥
デザイン:三澤 遥、佐々木耕平、竹下早紀、水野真由
コピーライティング:磯目健
進行管理:曽根良恵
写真:Gottingham、岡庭璃子
什器制作:HIGURE 17-15 cas
https://www.kahaku.go.jp/event/2022/08whoarewe/

この記事を読んだ方にオススメ