開館10周年を迎えた⽂化庁国⽴近現代建築資料館
2013年に設立された⽂化庁国⽴近現代建築資料館(以下、National Archives of Modern Architecture の略としてNAMAと表記)は、⽇本の近現代建築に関する資料の収集・保管・公開を主な活動としている。また、調査研究・展⽰・普及活動などにより、日本の近現代建築への理解を広げることもNAMAの重要な役割のひとつだ。
2023年に開館10周年を迎えたNAMAでは「10周年記念アーカイブズ特別展 ⽇本の近現代建築家たち展」が開催されている。会期前半(2023年7月25日〜10月15日)を「第1部 覚醒と出発」、会期後半(2023年11月1日〜24年2月4日)を「第2部 ⾶躍と挑戦」と題し、12名の著名建築家の関連資料とともに、この10年間の活動の成果が振り返られる。
TDでは以前に大髙正人設計の広島市営基町高層アパートをレポート(前編・後編)するなど、日本の近現代建築の魅力と現在地を紹介してきた。
そこで本記事では「日本の近現代建築の歩み」を辿る本展の内容を紹介しながら、「建築をアーカイブすることの意義と難しさ」に対峙してきたNAMAの活動について、企画担当主任である⼩林克弘⽒と情報担当主任である橋本純⽒に話を聞いてきた。
⼩林克弘⽒(以下敬称略):
現在NAMAには約30名の建築家の資料があり、点数はこの10年間で20万点を超えました。その多くは手描きの図⾯(オリジナル図面)で、全体の4分の3ぐらいのボリュームです。
ほかには写真アルバム、建築会議の記録、日記、設計事務所の様々な記録書類などもありますね。メタボリズム立ち上げの頃の会議議事録などもありますよ。一点一点のナンバリングも進めていて、番号の振り方としては「どの建築家の資料群に属すか」「どの建築作品に属すか」「作品内の何番目の資料に該当するか」と細分化されています。そうでないと、数万の資料の中から特定の資料にアクセスすることができなくなってしまいます。
橋本純⽒(以下敬称略):20万点もあるのでナンバリングは必要不可欠なんです。それのみならず、その資料が事務所のどこにあったのか、どのプロジェクトのどういった図⾯なのかも踏まえたうえで整理するための番号を付けています。
⼩林:数ヶ所に収蔵庫が分かれているので、資料を移動させる際には全部の履歴を残しておかないと、館内でも資料が行方不明になってしまう。今回も過去10年間の収集物の中からひとつひとつ資料を探してまとめたんですが、それをするためには「棚おろし」と称して、図⾯類が本当にそこにあるかを全て確認する必要もあります。そうした地道な苦労は伝わりづらいですが、とても大切な作業ですね。
現存しない建築をどう継承するか:忠霊塔の建築案
⼩林:過去にさかのぼると、残念ながら現存しない建築作品は多々あります。そうした「すでに存在しない建築」でも、図⾯や写真として残しておけることは当館の強みのひとつです。
たとえば、これは1939年におこなわれた忠霊塔(ちゅうれいとう)のコンペ案です。満州事変のあとに日本が戦争に突き進んでいった時代のもので、戦場で亡くなった人々を弔うモニュメントの構想がコンペになった例です。
モニュメントは「第一種」「第二種」「第三種」に分かれていて、第一種は主戦場になった場所(多くは日本の占領地)に建てられる忠霊塔、第二種は東京や大阪などの⼤都市に建てられる忠霊塔、第三種はそれぞれの⾃治体に建てられる忠霊塔として分類されます。
まだ太平洋戦争はまだ始まっていない時代でしたが、それぞれの建築家が「戦争」をどんな⾵に捉えていたかが、モニュメント案を通して伝わってくるようです。
橋本:第三種はたくさん建てられていて、実は今も日本中のいろいろなところに残っていますが、第一種、第二種のような巨⼤なモニュメントは現存していません。
⼩林:GHQが⽇本を統治したときに、忠霊塔という施設が残っていると再び⽇本が軍国主義化する契機になるのではないかと懸念して取り壊された例も多いようです。なので今残っているもの(その多くは第三種なのですが)は、破壊されることを恐れて地面に埋めて隠したものや、⽇本が戦後に主権を回復してから再建されたものなどもあるようです。
コンペ案の比較から見えてくるもの:京都国際会館
⼩林:建築家たちのコンペ案を⽐較するという意味では、国立京都国際会館のコンペ案が⾯⽩いです。
最終的に選ばれた大谷幸夫の⼀等案の図面は、本展の第1部で大きく取り上げました。第2部では大谷案に加えて、優秀案として最後まで競った菊⽵清訓の案、加えて、大髙正人案、高橋靗⼀案を紹介しています。
デザイン的には菊竹案の⽅がチャレンジングだったのではないかと言われるほど、今でも人気の高い案です。ただ会議室が上階にあるので、動線上にはやや難があるという印象もします。
コンペ全体では、菊⽵清訓、⼤髙正⼈、芦原義信の案が入選し、⾼橋靗⼀は選外になっています。ですが我々としては、せっかく図⾯があるのですべて展⽰することにしました。
建築評論家・川添登の資料を見ると、当時は「コンペをオープンにしたい」という関係者の思いが強くあったことがうかがえます。コンペのために18枚もの図面を描かせて、さらに大きなサイズの矩計図(かなばかりず)も描けという指⽰が見られる。現代のコンペとは⽐較にならないぐらい手間がかかっているんです。
橋本:京都国際会館は敷地内に池があり、その池に対し建物をどう配置するかというだけでも各案が全く異なります。建物だけでなく、敷地の読み取り⽅からも思考の違いが楽しめます。
⼩林:⼤谷案は、⼤会議室と中会議室を台形型の断⾯に収めて、外壁を低くすることによって圧迫感を与えないように工夫している。⾃然の中に建物があることを踏まえた点が評価されたようですね。
⼩林:そうです。資料を受け入れて整理を進めていくことで、ある資料と別の資料が同じコンペの応募案だったことがわかり、こうして並列して展示できるようになります。
橋本:コンペ案の再現展示ができるようになったのは、収集対象になった建築家の数がそれなりに増えたから。そのためには10年間の収集活動と資料整理、さらにそれを展覧会として世に出すことができる仕組みを整備することが必要でした。
実現しなかったコンぺ案:箱根国際観光センター
⼩林:一方で「実現されなかったコンペ案」もあります。箱根国際観光センターのコンペです。坂倉建築研究所の東京事務所の応募案は、キュービックなボリュームを配置しながらも、必要な施設は低層で飛び出ている構造になっています。
同じ坂倉の⼤阪事務所の応募案もあり、そちらではファサードがガラス状の有機的な形になっています。
吉阪隆正の建築案では、巨大なお⽫のような形状が見られます。前衛的なフォルムですが、最終的には「環境破壊に繋がるのでは」という理由でどのプランも実現しませんでした。
橋本:この建築計画が中⽌になった1970年前半は公害問題が⼤きくニュースになった時代で、国⺠の環境意識が高まった時期でした。計画中止の背景には、そうした状況があったことが推察されます。
東京の風景がいかにして形成されたか:坂倉準三の新宿⻄⼝計画
⼩林:坂倉準三といえば、彼が飛躍した1960年代の代表作「新宿駅⻄⼝計画」を展⽰しています。普段は平⾯図しか見ることができませんが、本展では珍しくパースで描いた図が展示されています。
⼩林:そうなんです。残念ながらここ数年で当時の建築が次々と再開発されています。坂倉は新宿や渋谷、池袋などのターミナル駅の駅前や、それに付属するデパートなども多く計画していました。
橋本:そういえるかもしれません。当時の東京は、丸の内周辺エリアへの⼀極集中が激しくなっていたため、⼭⼿線西側のターミナル駅である新宿・渋谷・池袋を副都⼼として整備して、東京の都心部を拡張させていく計画が進められていました。その2か所に関わった坂倉はその中心人物のひとりといえるでしょう。
⼩林:現在の東京都庁舎が建っている西新宿には淀橋浄⽔場があって、地盤が低いエリアでした。新宿駅は⼊⼝が地下につくられていたので、低い地盤のエリアと駅を結ぶ道路が主要な動線になりました。
すると道路の大部分が半地下になるので、当初の行政は、かなりの規模の換気塔を建てる計画を立てていたようです。しかし7階建てくらいの⾼さの巨大な塔を広場の中心に建てないといけないことがわかり、そこで坂倉が吹き抜けにした⽅が換気が効率的になされるのではないかということで、新宿西口の駅前には巨大な換気用の穴が空けられ、そこに⾞がスロープで降りていく光景が生まれました。
コンペ案の⽐較から⾒えてくること
⼩林:コンペ直後に、コンペの上位案のみを展⽰するという展覧会は他にもあるのですが、優秀案に絞らず、ひとつのコンペ全体を展⽰する例は珍しいと思います。
橋本:しかもそれがひとつのコンペではなく、複数のコンペを取り上げてそれぞれで⽐較できるというのはさらに珍しい。こうした試みをするためには地道な資料収集が不可欠でした。
⼩林:ただ図⾯を収集するだけでなく、こういうかたちで一般に公開することで、建築や風景の⽴体的な⾒せ⽅ができるようになります。
橋本:口当たりのいい「未来」が志向されやすいところがありますが、そもそも人間の身体は数十年という短い時間で劇的には進化できない。身体の形も脳の重さも大して変わらないわけですから、新しい知識は増えたとしても失っているものもそれなりにあるはずなんです。
ですから、記録や資料というのは、私たち人間がさまざまな試行錯誤を繰り返して今を生きている証そのもので、「過ぎ去った過去のもの」ではなく現代を照射するものであって然るべきです。
たとえば、過去の人々がどういうスケールで都市を捉えていたか、人々の暮らしをどうやって組み立てようとしていたのかなど、建築家たちの思考が「⾏間」に染み込んでいる。それをひとつひとつ読み込んでいくのが、後世を生きる私たちの責任だと思うんです。
⼩林:図⾯1枚にしても、今だったらCADで素早くつくってしまうことができますが、当時は図面1枚描くのにも必死だった。「必死にやる」ということは、当然「考えながら描く」というわけで、そこにはまだ言語化されていないさまざまな思考が眠っていると思うんです。
プロセスの表現としての資料
⼩林:いろいろな側面がありますが、「図面が⼿で描かれていた時代」が完全に終わりつつあることは大きいと感じています。デジタル化によってできるようになったこともたくさんありますが、できなくなったこともたくさんあると思っています。
それが何であるのかをきちんと伝えていくことは、我々にとって重要な使命であるはず。巨大な図面を手で描くには大変な労力がかかりますが、当時の建築家たちが、これだけエネルギーを注いで図⾯やスケッチを描いていたという事実は忘れるべきではないと端的に思うんです。
橋本:今回展示している資料の中には、これまでなかなか展示できなかったものもあります。たとえば、最終的に完成した図面などは展示できても、そこに辿り着く過程で生まれたスタディ資料などには従来光が当たりづらかった。
第1部では菊竹清訓による「出雲大社庁の舎」の図⾯を展示しましたが、途中で全く異なるスケッチが描かれていたりする。特に菊⽵の場合は案がどんどん変わっていくところが興味深い。
実物や雑誌などでは最終的な成果しか⾒えてきませんが、残された資料を通じて、最終案に⾄るまでの思考過程を辿ることができる。それが記録として残されていることには、大きな価値があると思っています。
⼩林:たしかに、そういう思考のプロセスを丹念に紹介できるのは資料館ならではですね。幸いなことに資料の数は膨大なので、過去の人々の思考のプロセスにじっくり向き合うことはいくらでもできる。しかも建築図面などはサイズが大きいので、印刷物にするとディティールが見えなくなりますが、ここでは現物があるので細部まで読み取ることができる。ぜひ皆さんにも当館にいらしていただいて、実物の資料に対面してほしいと思っています。
取材を終えて:ミクロとマクロのダイナミックな往還
「資料を読む」と聞くと、どうしても地味で退屈なイメージが付きまとうかもしれない。しかし、近代建築の図面の多くは巨大で手描きのため、まるで画家のドローイングを見ているように細部まで見応えのあるものばかりだった。
その一方で「実現したコンペ案」と「実現しなかったコンペ案」の比較は「あり得たかもしれない風景」を想像させてくれるという意味で刺激的だった。しかも当時の建築家たちがこれほどダイナミックに都市や建築を思考していたとは……その大胆さに圧倒される想いがした。
資料の細部に入り込むミクロな視点と、都市空間に広がるマクロな視点を行き来するダイナミズムが、建築資料館の展示全体に流れる通奏低音となっていた。
「アーカイブズ」という⾏為は、必ずしも過去だけを向いているわけではない。むしろ先人たちの思考や手つきを追体験することで、今を生きる人々がこれからを想像することに繋がる営みなのではないだろうか。
展覧会の会期は2024年2月4日まで。ぜひ実際に足を運び、ミクロとマクロのダイナミックな思考の往復を体感してほしい。
info
文化庁国立近現代建築資料館 [NAMA] 10周年記念アーカイブズ特別展
日本の近現代建築家たち
会場:文化庁国立近現代建築資料館(東京都文京区湯島4-6-15 湯島地方合同庁舎内)
会期:令和5年7月25日(火)~10月15日(日)、令和5年11月1日(水)~令和6年2月4日(日)
*12月28日(木)~1月4日(木)年末年始休館、毎週月曜休館(但、9月18日、10月9日、1月8日は開館、9月19日、10月10日、1月9日は休館。)
時間:10:00‐16:30
主催:文化庁
協力:公益財団法人東京都公園協会
アクセス(詳細は「施設案内と当館までの道のり」を参照)
JR御徒町駅北口から当館までの道のり例(平日のみ)
1.春日通に出て、上野広小路をとおり湯島天満宮の方向に進む。左手に和菓子屋向かいにタイ料理屋のある交差点を直進する。
2.そのまま直進して右手に郵便局を見ながら坂を上る。
3.そのまま坂を上り、わずかに坂が左にそれると「湯島地方合同庁舎」の看板が立っている。
4.そのまま進むと「湯島地方合同庁舎」および文化庁国立近現代建築資料館と記された門が見える。
5.守衛所で入館バッチをもらい敷地内を直進する。※バッチはお帰りの際に必ず守衛所へご返却願います。
6.合同庁舎が見えたら左に曲がる。突き当りを右に曲がりレンガ造の壁に沿って直進する。7.突き当りを右に曲がると「文化庁国立近現代建築資料館」と書かれた門が見える。
メトロ湯島駅から当館までの道のり例(平日のみ)
1.メトロ湯島駅1番出口を出る。右手に交差点が見えるが、信号は渡らず右に曲がり坂を上る方向に進む。
2.右手に郵便局(湯島四)を見ながらそのまま坂を上る。
3.わずかに坂が左にそれると「湯島地方合同庁舎」の看板が立っている。
4.そのまま進むと「湯島地方合同庁舎」および文化庁国立近現代建築資料館と記された門が見える。
5.守衛所で入館バッチをもらい敷地内を直進する。※バッチはお帰りの際に守衛所へ必ずお返し願います。
6.合同庁舎が見えたら左に曲がる。突き当りを右に曲がりレンガ造の壁に沿って直進する。
7.突き当りを右に曲がると「文化庁国立近現代建築資料館」と書かれた門が見える。
旧岩崎邸庭園からの入館方法
1.旧岩崎邸庭園入り口で、同園入園料を支払う。
2.入り口右手奥にある国立近現代建築資料館入り口に向かう。
3.右手にある守衛所で手続きを行いビジターカードを受け取る。※カードはお帰りの際に必ず守衛所へ返却願います。
4.建物に沿って進むと展示会の看板が見えるので、そこを入る。※お帰りの際は、必ず入館時と同様に旧岩崎邸庭園側の門から退館願います。
※ビジターカードは平日のみ使用しております。
連絡先:
TEL 03-3812-3401
FAX 03-3812-3407
⼩林克弘(こばやし・かつひろ)
文化庁国立近現代建築資料館 主任建築資料調査官、東京都立大学(首都大学東京大学)名誉教授。1955年生まれ、1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士。東京都立大学講師、助教授、教授を経て、 2020年3月首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授を定年退職し、2021年4月から現職。専門は、建築意匠全般、近現代建築の造形手法分析、世界のコンバージョン建築調査研究など。近年の著書に『建築転生 世界のコンバージョン建築Ⅱ』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年、『建築転生から都市更新へ ―海外諸都市における既存建築物の利活用戦略』日本建築センター、2022年など。
橋本純(はしもと・じゅん)
文化庁国立近現代建築資料館 主任建築資料調査官。1960年東京生まれ。1985年早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻修了、株式会社新建築社入社。建築専門誌『新建築』『新建築住宅特集』『JA』などの編集長、取締役を歴任。2015年同社を退職後、株式会社ハシモトオフィスを設立、同社代表取締役。2023年4月より現職を兼任。