広島・基町アパートを訪れて(前編)新陳代謝する「まち」としての建築

Mar 17,2023report

#motomachi

Mar17,2023

report

広島・基町アパートを訪れて(前編) 新陳代謝する「まち」としての建築

文:
TD編集部 藤生 新

原爆投下と戦後復興。川沿いの不法住宅と老朽化した復興木造住宅の建て替えのために建てられた市営基町(もとまち)高層アパートは、戦後広島の歩みを象徴する建築物として知られている。この場所を舞台に、中四国最大の美術学科を擁する広島市立大学が中心となって地域密着型プロジェクトが展開されている。前編では基町アパートの建築レポートを、後編ではこの場所で暮らしながらプロジェクトに携わる現役学生へのインタビューをお届けする。

「まち」としての基町アパート

広島の市営基町高層アパート(以下、基町アパート)の存在を知っている人はどれくらいいるだろうか。建築に詳しい人なら一度は聞いたことがあるかもしれない。戦後のメタボリズム運動を牽引した大髙正人(おおたか・まさと)の設計で、15,000人を収容する巨大な「まち」として構想された一大プロジェクトだ。

この場所で、中四国最大の美術学科を擁する広島市立大学と広島市中区役所が「基町プロジェクト」を展開している。美術やデザインを学ぶ若い人々の発表の場として、さらには暮らしの場としても注目を集めている基町アパート。その建築レポートを通じて「美術教育のいま」を異なる角度から覗いてみたい。
前編では、基町アパートの建築の魅力をレポートする。

まず、歴史を振り返ることから始めてみよう。原爆投下によって焼け野原と化した広島の中心部で、1960年代に国内最大級の高密度高層住宅団地の設計プロジェクトとして構想されたのが基町アパートだった。

基町資料室で見られる基町アパートの模型(筆者撮影)

その規模は、基町アパートを構成する施設の計画データからも見てとれる。人口15,000人を収容する4,500戸の住居に加えて、小学校1、幼稚園・保育園各1、店舗200、医院6、共同浴場3、その他施設(郵便局、集会場、公園、交番、駐車場)などで構成された[★1]。

大髙とともに設計に参加した建築家の藤本昌也は、このプロジェクトが「一小学校区の規模と考えられる住宅をこの狭い敷地に収容する計画」[★2]だったと述べている。つまり、基町アパートはひとつの「まち」をつくる大胆なプロジェクトとして構想されたのだ。

基町プロジェクトの6拠点

1978年の基町アパート完成から半世紀が経とうとするいま、住民の高齢化と多国籍化が進んでいる。2019年の調査[★3]によると、基町アパートの高齢化率は47.4%で、広島市全体(25%)の約2倍にあたる。また日本以外にルーツをもつ住民の割合は22.2%を占め、広島市全体(1.6%)の14倍にものぼるそうだ。

実際に敷地内にある「基町ショッピングセンター」を歩いてみると、高齢者用の福祉施設やアジア系食料品店の出店などが目立つ。高齢化とルーツの多様化という現代日本を反映した状況が、現代の基町アパートでは顕著に現れているのだ。

このように、戦後から現代の広島の歩みを象徴する基町アパートでは、2014年より広島市立大学と広島市中区役所によって「基町プロジェクト」が共同実施されている。地域の歴史に着目した多彩な活動を行っている基町プロジェクトは、現在地区内に以下6つの活動拠点を有している(施設説明は「基町プロジェクト」ウェブサイトより)。

プロジェクトの旗艦拠点「M98」
最初の活動拠点として、2014年5月にオープン。プロジェクトスタッフが基町プロジェクトの運営や地域交流を行っている。

ギャラリー&ポップアップショップ「Unité(ユニテ)」
展覧会開催への挑戦から作品販売、店舗ブランディング実験など、若者の創造的な活動の後押しと地域定着のための実験拠点。2019年6月〜11月に広島市立大学院生が空間設計・施工を行い、オープン。色々なイベント会場として利用されている。

基町資料を揃えた小さなビジターセンター「基町資料室」
より多くの方に基町を知ってもらうためのガイドとして、基町の歴史や基町プロジェクトの紹介を常設展示。2020年オープン。

創作と地域交流の拠点「M98」
プロジェクトで必要となる様々な部材の制作や、模型や作品の創作活動などに使用する工房空間。M98に隣接しており、近隣の郵便局や医院、商店を訪れた住人が、通りがかりに作業の様子を見ることができるようになっている。

年間を通じてポスター展示をしている基町の窓「モトマチ・アートウィンドウ」
基町に関連のある作品や、基町プロジェクトの成果物などを展示。2015年から活用を開始。もともとはショッピングセンターの店舗を広告するための場所だったが、近年では長らく使われていなかった。

資料展示の準備室「M98」
基町プロジェクトの資料展示の準備作業や作業スペースとして2016年から活用。元化粧品店だった空き店舗を整備し、ミラーやユニークなディスプレイスペース、化粧棚などをそのまま活かして改装を行った。

──
冒頭で触れた通り、これら施設の運営主体のひとつが広島市立大学だ。同大の芸術学部デザイン工芸学科で教鞭をとる中村圭准教授を中心に、プロジェクトには多くの学生や卒業生が関わっており、企画展の開催や写真アーカイブの形成、「拠点整備」をテーマにしたワークショップの開催など、さまざまなプロジェクトが行われている。

そこで今回は「美術教育のいま」に迫るシリーズの広島編として、基町アパートの建築レポート(前編)と、基町アパートで「自治会長」として暮らしている現役学生のインタビュー(後編)をお届けしたい。

新旧世代の混在する基町ショッピングセンター

筆者が基町アパートを訪れたのは2023年1月。施設をみて回った記録とともに、まずは建物の特徴を紹介しながら現地の空気を伝えたい。

基町ショッピングセンターの様子(筆者撮影)

訪問者の多くが最初に足を踏み入れる場所が基町ショッピングセンターだ。先述した通りアジア系店舗の出店が目立ち、最近では「基町中華街」と報じられたこともある[★4]。

加えて、広島市立大学の卒業生でアーティストの久保寛子と、アーティスト集団Chim↑Pom from Smappa!Groupのメンバー・水野俊紀が運営するアートスペース「Alternative Space CORE」(2017年~)の活動など、基町アパートで暮らす作家たちによる活動も盛んに行われている[★5]。

アートスペース「Alternative Space CORE」の外観(筆者撮影)

筆者はこのショッピングセンターを昼と夜の2度訪問したが、昼間にはシャッターが目立ち、閑散とした雰囲気が漂っていた。「バカ安」の看板が目立つ食事処や、ホルモン料理・焼肉店など、昭和風情の色濃い飲食店が多い。また、何軒ものお好み焼き屋が隣接した様子はいかにも広島といった風情である。

ショッピングセンター内の飲食店(筆者撮影)

日常使いの飲食店に加えて、福祉施設や葬儀店なども軒を連ねており、高齢化の波を実感させる光景が広がっていた。

モトマチ・アートウインドウの展示風景(筆者撮影)

ショッピングセンターの一角にある「モトマチ・アートウインドウ」では「平和湯の思い出」展が開催されていた。「ある日、力士のスターたちが平和湯に来た!」というコピーとともに、2022年1月まで基町アパートで営業していた銭湯・平和湯の写真やのぼりなどが展示されている。これも基町プロジェクトの活動の一環であり、住民の入れ替わりが進む基町アパートの歴史を後世に伝えようとする試みである。

人工地盤と地下空間

ショッピングセンターの中央は空に向かって開かれており、開放的な空間となっていた。階段を登ると、基町アパートの特徴のひとつ「人工地盤」へと繋がっている。

人工地盤へと続く階段(筆者撮影)

基町アパートは三層に分かれている。地上がこれまで見てきたショッピングセンター、地下が広大な駐車場と地下倉庫、そして最上階が人工地盤と呼ばれる緑地帯。

人工地盤の通路(筆者撮影)

地盤中央のオープンスペースは3ヘクタールもあり、ショッピングセンターから広大な空間へ自由にアクセスできる。上階の通路を伝って集会所や学校にアクセスでき、設計に携わった藤本によると、子どもの安全のために歩行者と車両の導線を区別することに重点が置かれていたようだ。

地下駐車場の様子(筆者撮影)

ショッピングセンターから地下に続く階段を降りると、巨大な洞窟のような地下駐車場が出てきた。

地下倉庫の様子(筆者撮影)

さらに別の通路からは地下倉庫に降りることもできる。ここには長年にわたって蓄積された催事道具や家具、古書、元店舗の看板などが乱雑に並べられていた。基町アパートの約半世紀の歴史を感じさせる空間である。

「く」の字の住棟と「コア」という区分

基町アパートは全部で20棟の建物から構成されるが、1~17号棟までは高層アパート以前に建設された従来型の中層アパートとなっている(中層アパート群)。それに対して18~20号棟が大髙正人設計による高層アパート群だ(市営基町高層アパート)。
行政的には1~20号棟をまとめて「基町アパート」と総称しているが、ここからは大髙設計の市営基町高層アパート(18~20号棟)に絞ってその様子を紹介していきたい。

基町アパートの模型。左側に従来型の中層アパート群が、右側に大髙設計の高層アパート群が見られる(筆者撮影)

全3棟から成る高層アパート群は、屏風のように「く」の字に折れ曲がった形をしている。これは、各住戸の採光条件を平等にしたうえで、窓からの視界を広く確保するためだ。

基町公営住宅の案内図。特有の住棟配置が確認できる

基町アパートは「コア」と呼ばれる単位で住居が分類される。18号棟には1~6コアが、19号棟には7~11コアが、20号棟には12~17コアがあり、各コアごとに合計17の自治会を形成している。

コアを分ける基準はエレベーターだ。6つのコアを擁する18号棟には6基のエレベーターがあり、同じエレベーターを利用する全フロアの世帯が同じコア(=自治会)に組み込まれる。

北(左側)から南(右側)に向けて低層化している(筆者撮影)

ちなみにアパートを真横から見ると、隣接する広島城のある南側に向かうにつれて低くなっていることがわかる。藤本によれば、これは「基町高層団地と旧広島城が少しでも調和のとれた都市環境を形成することを願って」[★6]の措置とのことで、広島城天守閣に対面する部分の高さは、天守閣の高さに応じて決定されたようだ。具体的には、天守閣に対峙するフロアが8階建てとなり、そこから最も離れたフロアが20階建てとなっている。

「4戸で1ユニット」という単位

エレベーターの止まる階数にも特徴がある。基町アパートでは、2階以上のフロアでは、偶数階にしかエレベーターが止まらないのだ。

偶数階にのみ止まるエレベーターボタン(筆者撮影)

これはエレベーターの止まるフロアを制限することによって、共用部の一部を吹き抜けにするための設計だ。「コアホール」と呼ばれるエレベーターホールは天井高5メートルもの吹き抜け空間となっている。さらに、エレベーター脇にはダストシュートが設けられ、地上に降りなくてもゴミ出しができる。

コアホールの様子(筆者撮影)

エレベーターの止まらない奇数階には、偶数階の共用廊下から階段でアクセスする形式(スキップアクセス形式)が採用されている。

スキップアクセス形式の階段。上階には奇数階の2戸が見える(筆者撮影)

偶数階の2戸と、その間にのびる階段の両隣にある奇数階2戸の合計4戸が「1ユニット」とされ、ユニットごとに共用の倉庫が存在する。倉庫の広さは1戸1㎡(合計4㎡)で、設計者の意図としては「三輪車や乳母庫、漬物桶など」[★7]を収納するためだったようだ。廊下にはみ出しがちな物を収納することで、共用部を美しく保ちたいという考え方のようだ。

偶数階を真上から見た模型。階段を挟んで左右に1戸ずつ住居がある(筆者撮影)

偶数階の廊下に面した住戸はAタイプ(専有面積36㎡)と呼ばれ、階段でアプローチする奇数階の住戸はBタイプ(専有面積42㎡)と呼ばれている。
共用廊下から見ると、頭上の天井部分がBタイプの床面となっていることからも、階段を昇り降りする手間が増える代わりに、Bタイプでは広い専有面積が確保されているのだ。さらに、廊下に面していないために両面採光ができ、風通しがよくなるというメリットがある。

ちなみに、後編でインタビューをお届けする学生はBタイプの部屋で暮らしていた。居室の様子は後編で詳しくお伝えしたい。

広大な屋上庭園

筆者が基町アパートを歩いていて最も印象に残ったのが屋上庭園だった。そもそも設計者の大髙正人は、モダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジエの弟子にあたる前川國男の建築事務所出身の人物である。コルビュジエの孫弟子にあたる大髙の仕事には、コルビュジエの唱えた「近代建築の五原則」からの影響が見られる。

近代建築の五原則
・ピロティ
・自由な平面
・自由な立面
・独立骨組みによる水平連続窓
・屋上庭園

コルビュジエは、まず鉄筋コンクリートの柱を使用することで建築物を地上から浮かし、地上に「ピロティ」と呼ばれる空間を創出した。柱が建築を支えることから、壁を構造体として用いる必要がなくなり、部屋を自由に配置できる「自由な平面」と「自由な立面」が生まれた。それらは障害物なく周囲を見渡せる「水平連続窓」を生み出し、さらには従来では地上に置かれていた植物を「屋上庭園」へと移動した。これがコルビュジエのいう「近代建築の五原則」である。

そして、基町アパートにもこの「五原則」が多くの部分で当てはまっている。中でもその影響が顕著なのが「屋上庭園」だ。

広大な屋上庭園(筆者撮影)

エレベーターで最上階へ上がると、突如として4,000坪以上の広大な空間が出現する。普段一般開放はされていないものの、時おり開かれる建築見学会で住民以外の人も訪れるチャンスがあるそうだ。

筆者は20階建ての北側から8階建ての南側にかけて案内してもらった。屋上を訪れてまず驚かされたのは、その眺望の良さだ。藤本が「屋上の空間を南にひらける瀬戸内海に向って傾斜させ、屋上にいるすべての人びとが、瀬戸内海の素晴らしい景観を満喫できる」[★8]ことを狙ったと述べているが、視界の先には広島の都心部と瀬戸内海が続いている。

屋上庭園から見た、広島都心部と瀬戸内海(筆者撮影)

屋上を北から南へ「く」の字型に折れ曲がりながら歩を進めると、傾斜を利用した花壇が随所に見られることに気が付く。設計当初は砂場や池などの設置も構想されていたそうだが[★9]、現在では運営上の都合から一部住民に花壇の使用のみが許されている。

北から南への全長は1,200メートルもあり、ただ横断するだけでもなかなかの時間がかかる。建物に高低差があり、真上から見ると複雑に折れ曲がっているため、初見の訪問時にはこの先どれほどの道のりが続くのかを予想することは難しく、まるで有機的な山の尾根を歩いているような錯覚に陥った。

屋上から地上を見下ろすと、先ほど歩いた「人工地盤」のオープンスペースが眼下に広がっている。十字形の通路の下にはショッピングセンターの通路が広がり、その上部が緑地帯となっている。

上空から見た人工地盤(筆者撮影)

実は筆者は広島の出身で、基町アパートの目と鼻の先にある高校に通っていた。そのため基町の地理はよく知っていたつもりだったが、この都心部にこれほど広大な「自然」があったことは(知識としては知っていても)実際にこの場所を訪れるまで実感できなかった。

大髙が牽引したメタボリズムは、都市の中に有機的な「新陳代謝(metabolism)」を生み出すことを目指した建築運動だった。屋上で花壇の様子を眺めていると、使い込まれたバケツやホースから住民の暮らしの息吹を垣間見ることができる。約半世紀の歴史をもつ基町アパートでは、設計時に想定された建築家の意図には必ずしも収まらないかたちで、人々が有機的な生活を営んできたのである。

住民によって使い込まれた屋上の花壇(筆者撮影)

最後に屋上にある集会所を覗いてみると、そこには大量の布団と古めかしいカラオケ機器が並べられていた。聞けば、屋上にあるこの集会所では大型連休に住民の親族が宿泊したり、自治会がカラオケ大会を開いたりすることもあるそうだ。

集会室の内観(筆者撮影)

メタボリズムを代表する建築作品として知られる基町アパートであるが、同時にそこは長年にわたり人々が暮らしてきた場所でもある。建築家の意図と住民の生活がコントラストを描きながら有機的に共存しているのが、基町アパートの建築としての最大の魅力かもしれない。

続く後編では、実際に基町アパートで暮らしながら自治会長を務め、地域活性化に取り組むプロジェクトにも関わっている広島市立大学の大学院生へのインタビューをお届けする。

この記事を読んだ方にオススメ