前回の記事:広島・基町アパートを訪れて(前編) 新陳代謝する「まち」としての建築
基町プロジェクトの自治会長は広島市大の大学院生
「最近は“まちの美しい終わらせ方”について考えています」
こう語るのは、広島市立大学大学院 博士後期課程に在籍している板井三那子(いたい・みなこ)さんだ。2019年から市営基町高層アパート(以下、基町アパート)で暮らし始め、現在は自治会長をしながら、地域活性化を目指す「基町プロジェクト」にもHACH(Hiroshima Arts&City Hive / 広島芸術都市ハイヴ)の職員として関わっている。
川沿いの不法住宅と老朽化した復興木造長屋の建て替えのために建てられた基町アパートは、現在、住民の高齢化と多国籍化に直面している(詳細はレポート前編を参照)。美術系大学に通いながら自治会長を務める板井さんの視点を通して見えてくる美術と地域の関わり方とは? 基町アパートにある板井さんのご自宅を訪問して話を聞いてきた。
家賃は破格の1万円台
「ここからの景色が最高なんです」
玄関に足を踏み入れてすぐに案内されたのはベランダだった。なるほど、そこからは基町アパートの巨大な「人工地盤」が一望できる。すべての住戸からの眺望と日当たりを確保するために、基町アパートが屏風型に折れ曲がった形状をしていることがよくわかる光景だ。
間取りも広々としていた。板井さんが暮らすのは「4戸で1ユニット」のうち比較的大きなBタイプ(奇数階・42㎡)。3Kの間取りは、作品や制作道具など物が多くなりがちな美大生にとって有り難い広さだ。この3部屋が、リビング・ダイニング、作業部屋、寝室として使われている。
さらに「基町地区の活性化」に貢献する学生には、広島市がAタイプを15,900円から、Bタイプを17,800円からという破格の家賃で貸し出している。「若年世帯」や「Uターン世帯」にも3万円台で貸し出されており、市が率先して住民層の若返りを進めていることがわかる(2023年3月現在)。
筆者が訪問した日中には大きな窓から眩い光が差し込み、二面採光の住戸全体に心地いい風が流れていた。基町アパートは1978年竣工のため、板井さんが入居した時点では40年以上の築年数が経っていたが、そのことを感じさせない爽やかな空気感が居室に足を踏み入れた最初の印象だった。
基町アパートとの出会い
板井さんがこの部屋で暮らし始めたのは2019年のこと。それまでは広島の都心部で暮らしていたが、山間部にある大学から帰宅する際に目にする基町アパートが「巨大な黒い塊」のように見えて気になっていたという。そんな折、すでにここで暮らしていた先輩アーティストの久保寛子さん(前編参照)に、アパートのラジオ体操へ遊びに来るように誘われたことが分岐点になった。
事情が飲み込めないまま訪れてみると、朝早くにもかかわらず、広場には70~80人ほどの高齢者が集まっていた。
当時、写真を使った作品を制作していた板井さんは、そのうちの一人のおばあさんに使い捨てカメラを預けてみた。1週間後に再訪してみると、カメラには「多国籍で面白い写真」が収められていたという。こうやって集められた写真を久保さんが基町ショッピングセンター内で運営するギャラリーで展示したことで、板井さんと基町アパートの関わりが生まれた。
自治会長の活動
引越してくる前は、どこか「多様性のある理想的なまち」として基町アパートをイメージしていた板井さん。しかし実際に暮らしてみると、そこには予想に反する状況が存在していた。
住み始めてみると、意外とコミュニティがはっきり分かれていたんです。私は福岡県の出身ですが、基町アパートには県外や国外から「流れ着いてきた人」がたくさんいて。仲良しのおばあちゃんがいる編み物サークルに出入りしているんですが、ほかにも日本人の方々が集まる水彩画教室、中国系の刺繍サークル、インド系のアクセサリーサークルなどがあり、それぞれのコミュニティ毎に断絶しているんです。その中には小さな差別とかがあるけど、断絶しているからこそ、ここの文化が目立っているように感じています。(板井さん)
2022年度からは自治会長を務めることとなった。基町アパートでは「コア」と呼ばれる単位(同じエレベーターを使う全フロアの住居)毎に合計17の自治会が形成されている。板井さんは自治会長になった理由を「住民のおじいさんにおしつけられたから」と冗談めかして語るが、その話しぶりは楽しそうだ。
板井さんの自治会には、約150世帯・300人が暮らしている。自治会長としての主な仕事は、共益費の徴収、建物の修繕管理、連合自治会会議への出席など。しかし、ここでも思わぬ困難に直面したという。
自治会長になって初めて、多文化すぎて自治会が機能しないことを知りました。回覧板ひとつとっても、文化の違いからストップすることがままあって。最近は日本語や中国語以外にも、ヒンディー語やネパール語なども併記しています。
それと基町アパートには「流れ着いてきた人」が多いからか、ここでの暮らしを良しと思っていない方もいるんです。「地域活性化」を名目とする学生の枠で入居した者としては、市が求めるそれと住民が求めるそれが異なることも段々わかってきて複雑な気持ちになっています。
まちの美しい終わらせ方とは?
大学院生や自治会長に加えて、板井さんには文化組織の職員としての顔もある。運営に参加しているHACH(Hiroshima Arts&City Hive/広島芸術都市ハイヴ)は、広島市立大学が文化庁の助成を受けて実施する、芸術と地域の繋ぎ手(メディエーター)を担う人材を育てるための組織だ。芸術を使った公共への介入(パブリック・インターベンション)を進める人材育成を活動の目的としている。
板井さんがHACHのメンバーとして基町アパートで実施したのが「Planning & Interventionワークショップ」。これは「未活性空間へのやさしい芸術介入」をテーマにした企画だ。街中の活用されていない空間にアートを通して介入する際(たとえば、空き店舗で展覧会を行うなど)、利害や関心の異なる人々とのネゴシエーションする必要が生まれる。そのために必要なノウハウを共有するためのワークショップだ。
2023年には、基町アパートの17号棟にあるギャラリーUnitéで成果展も開催された。ここでは、板井さんが基町アパートの地下倉庫で見つけた古い神輿にインスピレーションを受けた展示装置などがお披露目された。
その一方で、Unitéのある17号棟は数年後に建て壊されることが決まっている。ワークショップの準備中に建て壊しの方針を知った板井さんは「まちの活性化」に加えて「まちの美しい終わらせ方」についても考える必要を感じたそうだ。
基町プロジェクトの中には、古い写真のデジタル化など、アーカイブに重きを置いているプロジェクトがあります。でも、実際に基町アパートで暮らして思うのは、決してアーカイブできない物事があるんじゃないかということです。
たとえば、被爆体験のある方のお話を聞くにあたっても、一対一で話していると「苦しかったこともあるけど、こんな楽しいこともあったんよね」みたいに話していただくことがあるんですが、カメラを向けるとすぐに「被爆者」の顔になって、どこかで聞いたことのある話が始まってしまう。
私は人の写真や語りを集めることが好きなんですが、どうやったらその生々しさを繋いでいけるのか、もしくは、そもそも繋ぐ必要があるのかを考えています。ですから、近い将来なくなってしまう17号棟も、ただ「活性化すること」や「残すこと」を考えるだけでなく、その逆のこと、つまり「美しい終わらせ方」について思いを巡らすことも必要なんじゃないかと思うんです。
普段は語られない「ひょうきん」なもの
アーカイブできない事柄をどう取り扱うべきか? こうした問題意識と直接繋がっているのが板井さんの制作活動だ。学部時代は彫刻を専攻し、現在は大学院の総合造形芸術専攻に籍を置く板井さんは、次のような「作品」を制作している。
編み物サークルで被爆者のおばあちゃんと話しているときに、昔アパートの前にある川でイルカを見たことがあるって言うんです。本当かどうかわかりませんが、その様子を話し方も含めて再現してみようと。客観的な記録でなくて、主観的に再現すること、つまり「憑依芸」です。
パフォーマンス作品《爆ド宮島汽水航路》(2021年)は、板井さんが街中で知り合った人々に成り切ろうとする作品だ。そこでは、原爆ドームを「爆ド」と呼ぶ被爆者のおじいさんや、駅前で孤独にラップをする若者の姿などが再現されている。
もちろん、これは個人的な記憶による再現のため、その内容は必ずしも正確とはいえないだろう。しかし被爆体験の「語り部」の問題がたびたび議論される広島という土地で「いかに正確に記録するか」よりも「いかに豊かに記憶を繋ぐか」について考えさせる作品であることは確かだ。
みんな「これを残さなきゃ」って思っているところがあるんですけど、実際に復興の過程で生まれたのは、シリアスというより「ひょうきん」なものなんじゃないかとも思うんです。たとえば、編み物サークルだったり、地下倉庫で見つけた古い獅子舞だったり、集会所で開かれるカラオケ大会だったり、河川敷で発明された変な遊びだったり。復興の過程でみんなが豊かに暮らすために生まれた「語られない部分」をもっと知りたいですし、もっと可視化したいなと思っています。
こうした関心のもと、板井さんは「基町アパート」を舞台に生活/制作/仕事を続けている。複雑な歴史をもつ基町アパートについて外側から踏み込んで語ることは容易ではないからこそ、コミュニティの中に深く入り込み、日々試行錯誤をしている板井さんだからこそ話せる内容を聞くことができた。
板井さんの活動は、固有の地域に根ざしたものでありながら、同時に「広島」や「基町」という固有名には縛られない広がりも感じさせるものだった。
板井三那子(いたい・みなこ)
1994年、福岡にて音楽家と地質学者の間に生まれる。2010年、福岡県立太宰府高等学校に入学し、人体像を作りはじめる。2013年、広島市立大学芸術学部に入学、対話をベースにした地域での芸術実践を中心に作品制作やアートプロジェクトの企画運営を行う。2019年、広島市立大学大学院 芸術学研究科 造形芸術専攻 博士前期課程を修了後、現在は広島市立大学大学院 総合造形芸術専攻 博士後期課程に在籍し、公民館や公園、神社、河川敷などの街中の公共空間における活動に力を入れている。また、HACH(広島芸術都市ハイヴ)のスタッフとして広島での市民と芸術をつなぐ担い手「メディエーター」の育成事業に取り組む。主な展覧会に、「サイバー獅子舞DJ」(2022年、横川商店街劇場)、「爆ド宮島汽水航路-コロナ禍における遊びのブンカケン-」(2021年、アートギャラリーミヤウチ)、「基町文化研」展(2020年、オルタナティブスペースコア)など。